まず最初のお断り

これは書いておかないと、絶対に権威主義者な反論が来るであろうから。


例え学会で「標準」と認められた「学説」「論説」であっても、それを『学問』として、あるいは『議題』として取り上げるのであれば、「反論」は無条件で常に認められます。これは「学問」である以上、絶対の原理です。
問題はその「反論」の「論拠」に破綻が無いかかどうかです。論拠に破綻があれば、説得力が無い。論拠の説得力が薄ければ、認められない人が多くても当然。
あえて書いているのは、「学会はそういう風なことを認めていない」『だけ』では反論にはならないということを書いておかないと、権威主義による言論弾圧で反論とするコメントなどが来るであろう事が目に見えているからです。賛成派からも、反対派からも。
特に、社会学の分野でこの傾向が見られるので、先に記しておきます。


理系分野の多くなら簡単なんだけどね。特に物理学に関するものだと、どんだけ突飛な仮説であっても、最後は『実験』と言う形で確かめられる。多くの人は「トンデモだ」と考えるだろうが、まじめに計算式を用いて『光速は変動する』という説を唱えている人だっている。
社会学の場合は、そういった絶対的な『実験』が無い。『時代』に対して相対的な『実験』はあるんだけどね……


これらの弾圧の事例は、科学分野で出すと簡単か。
『社会による弾圧』事例は、天動説と地動説。地動説を唱えたとして死刑にまでされてる人も居ますね。
科学者による事例なら、量子力学。弾圧とまでは行かないが、かなりの議論になってますね。
で、正解はどうだったでしょう?


もちろん、これらの事例は科学分野だから、人間が関係しない「答え」を出せる。
社会学分野だと、これらの絶対的な「答え」と言うのは無い。『人間』が関係するから。
しかし、『社会』によって「答え」が変わると言う特質を持つ以上、逆に、科学以上に常に「反論」を認めなければならないとも言える。
例えば近隣だけ見ても、日本と韓国と北朝鮮と中国とロシアと台湾とで、同じ法律を持っていないように。

んで

何度も書いてるんですが、私は「現在の司法判断(最高裁判例)として『許容説』を採っていると解釈する」と言う解釈自体には、反対できません。
実際に 13 日に解釈したとおり([id:vid:20100113])、件の判決の傍論にあるので。
だから
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100117/plc1001172302015-n1.htm

 問題は、日本の参政権に関する記述として「適当でないもの」を4つの選択肢の中から選ばせるもので、憲法改正国民投票の投票資格や被選挙権の年齢などをめぐる選択肢とともに、「最高裁判所は外国人のうちの永住者等に対して地方選挙の選挙権を法律で付与することは憲法上禁止されていないとしている」と書かれていた。

と言うのは、実際に

 このように、憲法93条2項は、我が国に在留する外国人に対して地方公共団体における選挙の権利を保障したものとはいえないが、憲法第8章の地方自治に関する規定は、民主主義社会における地方自治の重要性に鑑み、住民の日常生活に密接な関連を有する公共的事務は、その地方の住民の意思に基づきその区域の地方公共団体が処理するという政治形態を憲法上の制度として保障しようとする趣旨に出たものと解されるから、我が国に在留する外国人のうちでも永住者等であってその居住する区域の地方公共団体と特段に緊密な関係を持つに至ったと認められるものについて、その意思を日常生活に密接な関連を有する地方公共団体の公共的事務の処理に反映させるべく、法律をもって、地方公共団体の長、その議会の議員等に対する選挙権を付与する措置を講ずることは、憲法上禁止されているものではないと解するのが相当である。

と書いてある以上、反論の余地は無い。



私が行おうとしているのは、この判断は傍論でしか無いから、判例上、法的拘束力は無い。
したがって、憲法解釈でこの傍論に反する答えを出すこと、それ自体は

  1. 現実的には『傍論と違っていても法的解釈として問題があるとは言えない』と言う隙間を突いたもの
  2. 学説的には反論・異論は常に認められなければならない(でなければ学問ではない)と言う自明の理

という部分での思考になります。

特にこの傍論については、その論拠が薄いように見られるので。

まずは?B

http://b.hatena.ne.jp/y_arim/20100114#bookmark-18525794

y_arim law, judgement, 外国人参政権, politics ブクマタイトルは本文中から引用して勝手につけさせていただいた。これだけわかっていてなお反対する理由を是非知りたい。 2010/01/14

非常に不可思議な物言いです。

「これだけわかっていて」『なお』「反対する理由を」『是非』「知りたい」。

文章を素直に解釈するに『なお』と言う形で後半をつなげていることから

と言う考え方が根底にあると推測せざるえません。
でなければ、『なお』をここで持ち出した意味がよくわからなくなる。


このつなぎ方がさっぱり理解できない。
先日、件の裁判の解釈を考えたとおり、最高裁判所が出してある傍論は次の通り。

  • 憲法 93 条の「住民」とは、憲法 15 条の「国民」であり、外国人はこれに含まない(本論理由でもあり)
  • 外国人に参政権を与えることは憲法で禁止しているとは言えない

これだけでしかありません。

件の裁判をどのように読み込んでも「外国人参政権を与えなければならない」とは、司法は解釈していない以上、「反対」する事はなんら問題ではない。
ましてや許容説を採り、法律で権利を与えるかどうかを決めるのであれば、「メリット」「デメリット」と言ったレベルで語ることすら問題ありません。


『なお』でつなげた意味がさっぱり理解できない。
「件の裁判の憲法解釈が出来る」『ならば』「外国人参政権に賛成しなければならない」というような解釈の制限どこにも存在しません。
さっぱり理解できない。

「固有」の解釈の違い(異論を立てることについて)

http://b.hatena.ne.jp/nisshiey_s1/20100113#bookmark-18525794

nisshiey_s1 永住外国人地方参政権, ごもっとも 反対派の人だけど、件の判例についてちゃんと理解している。こういう反対派であれば、有意義な議論が期待できそう。/15条の「固有の」って本来的なもので法によっても奪えないって意味じゃ。国民に限定ではない。 2010/01/13

『国民に限定では「無い」』と断定している。本当にそうか?
http://b.hatena.ne.jp/watchcat/20100114#bookmark-18525794

watchcat vid 「固有」に関してはhttp://www7.atwiki.jp/epolitics/pages/216.html#id_d0a9d160 の「外国人参政権」に関する理論的な問題のQ&A」の一番目を読むと現状を把握できる。 2010/01/14
(vid への id については改変)

というわけで、引用。
外国人参政権 - e-politics - アットウィキ

参政権は「国民固有の権利」なので、外国人には認められないのではないでしょうか?
日本国憲法15条は「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である」と述べています。
この場合の「国民固有の権利」という言葉は「国民が当然もっているとされる権利、したがって、他人にゆずりわたす事のできない権利」とされています。


この条文を根拠として「選挙権は、憲法15条により、国民固有の権利であるから、外国人には認められない」といった解釈が主張される事もありますが、日本政府の有権解釈として、内閣法制局が「憲法15条の「固有の権利」というものは「国民が占有する権利」ではなく、「国民から奪うべからざる権利」の意味に解釈するのが正当である」と答弁した内容(「日本国籍を喪失した場合の公務員の地位について」)があり、憲法学の通説も、機械的に国民・外国人の二分法で当てはめるのではなく、権利の性質と外国人の態様に応じた合理的解釈がされる「性質説」に立っているそうです(近藤敦外国人参政権に関するQ&A」)。
そのため、この主張に関する結論としては、「そういった立論をする事は可能だけれども、政府の有権解釈や憲法学の通説から外れた少数説の立場に立った立論になる」という事になると思います。

外国人参政権 - e-politics - アットウィキ

内閣法制局の(国会…かな?)答弁と、憲法学の通説が、

  • 「固有」とは『「国民のみ」と言う限定を示しているのではなく、「国民から奪えない権利」と言う状態を示していると解釈すべきである』

と言う意見を取っているようです。


ではここで質問です。

  • これが最高裁判例として確定しているのでしょうか?

上記の解釈が最高裁判例として確定している(後、憲法改正での条文変更による解釈変更余地が存在しない)のであれば、私もその立場を採らざる得ません。司法解釈による法的拘束力を持つ判例となるからです。
しかし、判例で確定していない時点では、『有力な解釈』であることは認めますが、『違う解釈を持ち出してはならない』理由にはなりません。
一番最初に書いた、学説には常に無条件で反論が認められるべきだという、学問での原則論からもです。
というわけで、『無い』と断定する論拠は見当たらないといっても問題ないでしょう。


したがって、現在の主流ではない論を立てることが問題だとは、さっぱり思いません。


「固有」の解釈についてはまた後で。

トラックバックより:『国民』とは誰か?

引用にいちいち付けるのが大変なので、裁判判例はこちらから

本題。

http://d.hatena.ne.jp/luxe01/20100114/1263480736

長いので私、vid の意訳。

憲法15条1項の「国民固有」とはどういう意味か?

  1. 『国民』とは誰か?
  2. 『固有』の意味とは何か?

で、2 については特に触れてなくて、主に 1 の面からの考察になってる。中で少し触れてるが、前述の「通説」の立場で解釈している。


違和感が数点。

違和感1。「住民」と「国民」の解釈の方向性

民主制原理からの説明
第1の見解は,公務員の選定罷免権とは「自らのことは自らが決める」という民主制原理のあらわれであるのだから,国籍保持者の範囲を自由に拡張・縮小した結果,有権者の範囲と統治の客体の範囲が著しく乖離するような場合には,民主制原理に背馳することになる。したがって,公務員の選定罷免権の享有主体の範囲は,「国籍保持者」か否かではなく,「治者と被治者の自同性」によって画される,とするものである。

ここでひとつのメルクマールとなるのが,「同一の生活実態」の基準である。

前回のエントリ論点整理と頭の体操 - 3Lで整理した見解のうち,中央と地方の参政権を一体的に考える見解においては,憲法15条1項にいう「国民」とは生活実態を同じくする「住民」のことであるから,外国人であっても「住民」に含まれる場合は,公務員選定罷免権を付与してもかまわない,という見解が存在する。この見解は,憲法15条1項の「国民」概念を具体化する際に,憲法10条の「国民」概念を媒介することなく独自に「国民」概念を構築するものであろう。

解釈の方向性に疑問。
「住民」とは「国民」のことであると言う解釈方向性が

そこで、憲法15条1項にいう公務員を選定罷免する権利の保障が我が国に在留する外国人に対しても及ぶものと解すべきか否かについて考えると、憲法の右規定は、国民主権の原理に基づき、公務員の終局的任免権が国民に存することを表明したものにほかならないところ、主権が「日本国民」に存するものとする憲法前文及び1条の規定に照らせば、憲法国民主権の原理における国民とは、日本国民すなわち我が国の国籍を有する者を意味することは明らかである。そうとすれば、公務員を選定罷免する権利を保障した憲法15条1項の規定は、権利の性質上日本国民のみをその対象とし、右規定による権利の保障は、我が国に在留する外国人には及ばないものと解するのが相当である。そして、地方自治について定める憲法第8章は、93条2項において、地方公共団体の長、その議会の議員及び法律の定めるその他の吏員は、その地方公共団体の住民が直接これを選挙するものと規定しているのであるが、前記の国民主権の原理及びこれに基づく憲法15条1項の規定の趣旨に鑑み、地方公共団体が我が国の統治機構の不可欠の要素を成すものであることをも併せ考えると、憲法93条2項にいう「住民」とは、地方公共団体の区域内に住所を有する日本国民を意味するものと解するのが相当であり、右規定は、我が国に在留する外国人に対して、地方公共団体の長、その議会の議員等の選挙の権利を保障したものということはできない。

件の最高裁判決の傍論で述べられており、

以上検討したところによれば、地方公共団体の長及びその議会の議員の選挙の権利を日本国民たる住民に限るものとした地方自治法11条、18条、公職選挙法9条2項の各規定が憲法15条1項、93条2項に違反するものということはできず、その他本件各決定を維持すべきものとした原審の判断に憲法の右各規定の解釈の誤りがあるということもできない。

本論に示された『原審の解釈に問題は無い』と言う最高裁判断を元に原審の判例に当たると

3 憲法93条2項所定の「住民」概念
[29] 憲法93条2項は、地方公共団体の長、その議会の議員及び法律の定めるその他の吏員は、その地方公共団体の「住民」が、直接これを選挙する、と規定しているところ、右地方公共団体についての選挙権も、国民主権の原理に基づくもので、憲法15条の「国民」が選挙する公務員には、地方公共団体の長等の地方公共団体の公務員も含まれていると解されること、地方公共団体も国から全く独立して存在するものではなく、地方公共団体の政治、行政は、国の政治、行政と互いに関連しており、地方公共団体が国の事務を処理することもあることからすると、憲法93条2項所定の「住民」を、憲法15条の「国民」とは別個の概念としてとらえるのは適切ではなく、これを統一的に理解すべきであり、結局、憲法93条2項が「住民」の文言を使用しているのは、地方公共団体の公務員については、特にその地域に居住する者により直接選出されるものであることを明らかにするためであると解するのが相当であって、憲法93条2項の「住民」は、日本「国民」であることがその前提となっているというべきである。

とある、これらの判例解釈に対して逆方向の考え方だと、私は解釈する。

そもそも、

前回のエントリ論点整理と頭の体操 - 3Lで整理した見解のうち,中央と地方の参政権を一体的に考える見解においては,憲法15条1項にいう「国民」とは生活実態を同じくする「住民」のことであるから,外国人であっても「住民」に含まれる場合は,公務員選定罷免権を付与してもかまわない,という見解が存在する。この見解は,憲法15条1項の「国民」概念を具体化する際に,憲法10条の「国民」概念を媒介することなく独自に「国民」概念を構築するものであろう。

の部分だけを考えても、当該裁判の当初の訴えが

(二) 憲法上の「国民」概念
[10] 日本国憲法前文の規定には、全世界、全人類的な民主主義及び人権・平和保障を承認し、かつその実効性確保を国家目標とし、その目標を達成するため、日本国の領域においては日本国が責任分担として民主主義及び人権・平和を保障し実効あらしめるという思想が表わされている。そして、その思想から、地球上にいる人は、どこか一箇所で、自分の属する地域の政治に参加すべきであるとの原則が導き出される。右の「どこか一箇所」とは、参政権の性質上、その人が定住している地域でなければならないのであるから、憲法15条等の「国民」には、当然に日本国内における定住者が含まれることになる。
(三) 憲法93条2項所定の「住民」概念
[11] 地方政治レベルの参政権は、限定された地域共同体において、共同生活上の利害関係について共同決定するという趣旨からして、当該地域の住民、すなわち、定住者に限らず「居住者」に与えられるものであり、憲法93条2項所定の「住民」も、このような概念と解すべきであって、このことは、地方自治の本旨憲法92条)の根幹というべきである。
(四) 地方自治法11条18条、公職選挙法9条2項所定の「日本国民」
[12]  地方自治法11条、18条、公職選挙法9条2項は、地方公共団体に関する選挙の選挙権を有する者の要件として、「日本国民」であることを挙げているが、右(二)の憲法上の「国民」についての解釈及び右(三)の憲法93条2項の解釈からすると、右「日本国民」には、日本国内における定住者が含まれなければならない。したがって、右「日本国民」を、日本国籍を有する者と限定的に解したのでは、右の各条は、憲法(14条、15条、92条、93条等)に違反することになる。

このような原告の主張が元にあり、最高裁まで争われて「上告棄却」となった以上、『生活実態』を論拠とする「住民」を前提に憲法15条の「国民」解釈することは、件の最高裁判決でもって法的拘束力を持って否定されていると考えるのが妥当である、と私は解釈する。

違和感2。

自分へのトラックバックは不要なので、自分の分だけ id を取りました。(改変部分)

権利が先か,国家が先か
最後に,ブコメでvidが指摘しているように,「参政権は国家の存在を前提としたものであるから,前国家的な権利ではなく後国家的な権利であり,国籍でもってその享有主体が画されるのであるから,外国人に参政権は付与できない」という主張が考えられるが,はたしてそうであろうか。「自らのことは自らが決める」との民主制原理からすれば,国籍を有するか否かではなく住民であるか否かで決するほうがすなおではないか。

あくまで国籍にこだわるのであれば,それは憲法制定権力を有する者の範囲が国籍によって画されるとすれば足りるのではないか。憲法10条が国民概念を憲法事項ではなく法律事項としている以上は,こうした解釈を採らざるをえないのではないか。その点ではブコメでのid:neogratcheによる「憲法改正してでも「国民」の定義を明確にするべきじゃないの?」との指摘は正当な指摘であるように思われる。

前段の「住民であるか否か」についてはすでに述べたように最高裁判例で否定されています。

そして後段の国籍部分。
で、これについては結論部よりも前でもあるけど、あえて結論部で。
思考として次のような考え方をしていた。

  1. 公務員の選定罷免権は「国民」の権利である(憲法15条1項)。
  2. 「国民」たる要件は法律で定める(憲法10条)。
  3. 「国民」たる要件は「この法律〔=国籍法〕」で定める(国籍法1条)。
  4. 「国籍」は法律で定めるのだから、法律一つで憲法15条1項の範囲が変化するのはおかしい
  5. したがって「自治」の観点からすれば、「国籍」ではなく「住民」とするのが正しいのではないか

概ねこんな感じと解釈。違っているならば突っ込みお願いします。


私は、この考え方は3と4の間に大きな断絶があると考えます。
法律の規範の性質と言うのは、その強制力と言うのが

  1. 条約(国際条約・二カ国間条約など)
  2. 憲法
  3. 法律
  4. 条例

と言うような段階を取ると記憶しています。まだ間にいくつも何かあったと思うけど、法律は専門じゃないので思い出せない(−−;;

で上の思考の流れを見ると

  • 法律の性質で参政権の範囲が変わるのだから、憲法参政権の範囲も変わるよね。けど法律でもって解釈が変わるという、その憲法解釈はおかしいよね(vid 意訳)

と言う理由だと解釈しました。

これが憲法解釈論として正しい方法なのかは、私にはわかりません。
しかし違和感が残ります。
『下位法の「性質」によって上位法の解釈が変わるというのは、法律の読み方として正しいのか?』
このような下克上を理由にするという部分が、法解釈のロジックとして正しいように思えないのです。
逆に言えば、これを許すとなると、憲法にある『法律で定める』とされているすべてが問題になるというのが、正しい法解釈になるのではないかと。それは本当に正しい読み方でしょうか?


ついでに言えば、このような論理構成をとるなら、「帰化」を「法律で」認めて居る国家であれば、『すべての国家が』同じロジックを取らなければならないと思われますが、このような論理構成で外国人地方参政権を認めている国家が他にあるのでしょうか?
私は外国の法理にも詳しくないので、このロジックで外国人参政権を認めている国があるのかどうかは知りませんが、そんな国があると聞いたことがありません。


と言うわけで、『10条ドグマ』として書かれた id:luxe01:20100114:1263480736 さんのロジックには、全く同意できません。


あー……これについては、こちらを持ち出すほうがわかりやすいですね。
id:luxe01:20100112:1263290058 さんより

中央・地方一体説のように「国民」に外国人を含めて解釈するのは無理ではないか?
憲法10条は「日本国民たる要件は、法律でこれを定める。」と規定しており,ここでいう「法律」を国籍法ととらえれば,「国民」は国籍保持者に限られるはずであり,それ以外の外国人を「国民」に含める余地はない,との批判がありえる。

しかし,

  1. 「国民」とは「国籍保持者」である
  2. 「国籍保持者」が誰であるかは国籍法によって決定される
  3. 現行の国籍法は血統主義を採用している(両親のいずれかが日本人であれば子は日本国籍を取得する)
  4. 国籍法により国籍を取得できない者は「国民」に含まれない(両親がともに外国人の場合はたとえ日本で生まれていようとも子は日本国籍を取得できない)
  5. したがって,国籍法により国籍を取得できない者に対して参政権を付与することは15条1項に反する

と考えると,法律が憲法の中身を決定することになるため,こうした解釈は採用できない*2。

そもそも国籍取得の方法は血統主義に限られるものではなく,出生地主義を採用している国も存在する。
したがって,憲法15条1項の「国民」概念を定めるにあたって,憲法10条の「国民」概念を媒介して,「国籍法が国籍保持者を決定しているのだから日本国籍を有しない外国人を「国民」に含めることはできない」ということはできない。

仮に国籍法が出生地主義を採用した場合は,両親が日本人であれ外国人であれ,子は日本で生まれた以上すべて日本国籍を取得できるのであり,現在「外国人」とされている者(特に2世以降の人々)であっても,潜在的に国籍取得の可能性を有している。したがって,かれらを憲法15条1項にいう「国民」に含めてはならない,ということにはならない*3。

(本文内注釈部分を別途引用)
*2:あくまで憲法が法律に優位するのであって,法律が憲法に優位することはありえないから,法律で〇〇と決まっているから憲法でも〇〇と解釈しなければならないということはできない。これが可能になれば,厳格に定められた憲法改正手続を踏まなくても法律の改正によって実質的な憲法改正が可能となってしまう。
*3:つまるところ,本説は「国民」=「国籍保持者」とは理解しないのであろう。

私はこの 5 番目が思考の跳躍だと考えます。

「国民」と言うのは『現に』定められている「国籍法」によって判断、また確定できる事項です。解釈論の問題。
これを「国籍は国籍法によって自由に定める事が出来る」と言うのを理由に「憲法の範囲が変わる」……だから「この解釈はおかしい」と言う話になっています。しかしこれは立法論です。
憲法に言う「国民」=「国籍法による日本国籍保持者」は、「これから立てる法律の」立法論で決まるものではありません。「現にある法律の」解釈論により決まるものです。つまり、一意に決まっている問題です。
そして「国籍法」が「出生地主義」か「血統主義」かも問題ではありません。解釈論で決まっている問題だからです。

更に言えば、立法論であっても自由に設定できるわけではなく

[27] そこで、日本国憲法の規定を見るに、右のとおり、憲法15条1項は、公務員を選定罷免することは、「国民」固有の権利であるとしているところ、これは、前記(一)で述べたとおり、憲法の基本原理の一つである国民主権の原理に基づくものであるが、他方、憲法10条は、「日本国民たる要件は、法律でこれを定める。」と規定して、具体的にどの範囲の者を「国民」とするか、その要件については法律に委ねており、これを受けて、国籍法が日本国民たる要件を定めている。もちろん、法律である国籍法において、日本国民たる要件を全く自由に定めることができるものではなく、それは憲法の各条項及び基本原理と調和するものでなければならないが、現行の血統主義を基本とする国籍法には、憲法の各条項及び基本原理と調和しない点があると認めることはできない。

定住外国人地方選挙権訴訟 第一審判決

憲法などと調和するものでなければならないという判断をしており、この地裁の解釈に問題が無いと言うのは、最高裁判例本論で述べられています。


以上。
「国籍法」と「憲法」の関係について、解釈論と立法論を混ぜた論であるため、私にはこの解釈は『法律論』として不適当であると考えます。

もしもこの解釈が「妥当」であるなら、国籍法は「憲法」に記載しない限り、憲法に言う「国民」の記述すべてが「不安定」となります。それも日本だけでなく。
そのような解釈が本当に「妥当」であれば、今度は憲法の上位になる国際法

  • 国内管轄事項への不干渉義務の原則(第三原則)
  • 人民自決の原則(第五原則)
  • 国の主権平等の原則(第六原則)
国際法 - Wikipedia

これらに干渉するのではないでしょうか。
よって、やはり前述の解釈の採用は出来ません。

「固有」の解釈論

では、後回しにしていた「固有」の解釈論です。


前述の通り、「固有」については

参政権は「国民固有の権利」なので、外国人には認められないのではないでしょうか?
日本国憲法15条は「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である」と述べています。
この場合の「国民固有の権利」という言葉は「国民が当然もっているとされる権利、したがって、他人にゆずりわたす事のできない権利」とされています。


この条文を根拠として「選挙権は、憲法15条により、国民固有の権利であるから、外国人には認められない」といった解釈が主張される事もありますが、日本政府の有権解釈として、内閣法制局が「憲法15条の「固有の権利」というものは「国民が占有する権利」ではなく、「国民から奪うべからざる権利」の意味に解釈するのが正当である」と答弁した内容(「日本国籍を喪失した場合の公務員の地位について」)があり、憲法学の通説も、機械的に国民・外国人の二分法で当てはめるのではなく、権利の性質と外国人の態様に応じた合理的解釈がされる「性質説」に立っているそうです(近藤敦外国人参政権に関するQ&A」)。
そのため、この主張に関する結論としては、「そういった立論をする事は可能だけれども、政府の有権解釈や憲法学の通説から外れた少数説の立場に立った立論になる」という事になると思います。

外国人参政権 - e-politics - アットウィキ

と言うのが通説との事ですが、一番最初に書いたとおり

  1. 通説に反する論を出すこと、それ自体は全く問題ではなく
  2. また最高裁判例として通説に当たる判例があるのでない

ために、通説から外れている「から」間違いだという反論は、その論拠に一切の説得性を持たないと記しておきます。
論拠に対しての説得性が『薄い』と言うのは妥当ですが、そんなことは理解のうえで書いています。

「固有」の解釈について

では本題。

第15条 公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。

http://www.houko.com/00/01/S21/000.HTM

私が「固有」について上記解釈の立場を採らない思考ルート。

国際法の原則から

まず、参政権と言うのは「社会」がその権利を保障しないと、存在しない権利です。
したがって、参政権は常に「社会」をその前提とします。


次に、国際法に照らし合わせて、「社会」を「国家」としたときに、その独立性が国際法の原則によって保障されています。再度引用。

  • 国内管轄事項への不干渉義務の原則(第三原則)
  • 人民自決の原則(第五原則)
  • 国の主権平等の原則(第六原則)
国際法 - Wikipedia

国家は独立して運営することが原則として保障され、またその運営者はその国家に連なるものにあると。

これを示したのが日本国憲法の前文に存在します。

 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものてあつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

http://www.houko.com/00/01/S21/000.HTM
  • 「ここに主権が国民に存することを宣言し」(国民主権
  • 「自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。」

つまり、「国家の運営」と言うのは、「国際法に認められ憲法で保障した(not 保障された)国民の権利である」と言うことが出来ます。


ここで「外国人への地方参政権の権利を与えること」について考えてみると。
これは国際法の原則

  • 国内管轄事項への不干渉義務の原則(第三原則)
  • 人民自決の原則(第五原則)
  • 国の主権平等の原則(第六原則)
国際法 - Wikipedia

に問題があると考えざるえません。
参政権と言うのは「内政」であり、「国内管轄事項」への明確な干渉です。
また外国人は「人民」自決の「人民」から外れています。
よって「国の主権の平等」から考えれば、「他国による主権への侵害」と言えると考えます。
以上、国際法の基本的な立場から来る問題としても、外国人参政権は問題があると考えるのが妥当だと考えます。

参政権の性質から

憲法第3章にある諸所の権利のうち、参政権以外も多々あります。
そして参政権だけが「国家が保障する権利」です。
『固有』の解釈として、「国民から奪うべからざる権利」であるとされますが、では他の権利はどうでしょうか? 当然ですが「国民から奪うべからざる権利」であることは言うまでもありません。
では、参政権以外は法律で制限されるから、と言う反論は可能でしょうか? これも不可能です。参政権(選挙権)もまた、法律により一定条件で「停止(国家によって奪われてるという状態と同じ)」されます。受刑者など。よって、他の権利とことさらの違いが認められません。
つまり、参政権と言う権利が他のものと違うと言うのは、

  • 国際法によって国家の独立運営が認められている原則がある
  • この原則に基づき、国家が国民に対して保障した権利である

と言う部分だと考えます。
これらを表したのが、憲法15条1項の

第15条 公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。

http://www.houko.com/00/01/S21/000.HTM

この固有にあり、これが「国家独立運営を認めた権利であるため、国民に『のみ』その権利を限定する」と解釈するのが妥当と考える理由です。
事実、「固有」の文言はこの部分以外に憲法に存在しません。


以上により、私は「国民固有」とは「日本国民のみに」と解釈するのが妥当と考え、『外国人参政権』は『憲法違反の疑いがある』と言う反論とします。

上記思考での問題点

一応。
このような「固有」の解釈について、問題点が2点存在します。

93条に「固有」が無いのは何故か?

前述のように考えた場合に問題となるのが93条2項には「固有」が無いことです。

第93条 地方公共団体には、法律の定めるところにより、その議事機関として議会を設置する。
2 地方公共団体の長、その議会の議員及び法律の定めるその他の吏員は、その地方公共団体の住民が、直接これを選挙する。

しかしこれは「権利」として書かれたものではなく、「選挙の参加者の限定条件」として書かれたものであるため、「固有」が無いこと、それが直接問題であるとは考えられません。
また15条1項で「参政権」について保障してあり、また「住民」とは「国民」であるとう判例(傍論)もあるため、このことが問題になるというのは考えられません。

参政権は国家が補償してあるから「固有」とは「国民から奪うべからざる権利」と解釈すべきではないか

そして、結局は元のところに戻るわけですが。


先に述べたように、参政権「のみ」が「国家が保障する性質」を持つのだから、15条が無い場合は「法律として参政権を保障しない」と言う国家の法体系を作る事が可能となる。
それを防ぐための条文であって、「必ず、選挙を行わなければならない(参政権を法律で奪う事が出来ない)」の意味での固有(国民から奪うことが出来ないという意味)である。


と言う反論が、更に可能となります。
なるほど、「基本的人権として奪えない権利である」と言う部分が自然発生でないために特別に書かなければならなかったとすれば、確かに一理あります。

そしてこういう考えについては、前述の通り解釈の違いなので、私は前述の解釈を取るという立場に立つだけで、後はどちらを取るかの問題になります。

とまぁここまで書いておきながら

実際に法律が出来た時に、違憲だと言う裁判を起こしたら勝てるのか?と言う想定。
おそらく、勝てないでしょうね。件の傍論がすでに本論となっている地方裁判所の裁判がいくつか判決が出ているようなので。
件の傍論の論拠不明のままに見えるので、この流れはおかしいように見えますが。しかし、出てしまった以上、司法での事実上の拘束力を持ってしまう。


上記のような「違憲の疑い」も「少数の論」である以上、採用の可能性は低いです。それは「数の論理」の上で。
また、内閣法制局の見解を最高裁判所が覆した事例が存在しないと言う意味でも。司法の独立性に疑問符がつきますが。


ですので、次に行うべきは「違憲の疑い」ではない「外国人参政権を許容すべきではない」理由を挙げていくしかありません。
そもそもですが、『日本国参政権の保証』は『日本国籍に対してだけである』と言うのは、最高裁判決でも示されたとおり、疑いようの無い解釈です。そして外国人参政権を保証『しなければならない法律より上の法』と言うのが存在しないこともまた、最高裁判決で示されています。
これらより、外国人参政権は制定「しなければならないものではない」のです。
これは賛成派であっても覆しようの無い判例です。


である以上、外国人参政権を認めた場合の種々の問題点を上げることは、全く問題ではありません。
これらについてもいくつかありますが、本日はもう長いのでやだ(w

疑問点

とまぁいろいろと書いてて疑問はまだまだ残ります。

この条文を根拠として「選挙権は、憲法15条により、国民固有の権利であるから、外国人には認められない」といった解釈が主張される事もありますが、日本政府の有権解釈として、内閣法制局が「憲法15条の「固有の権利」というものは「国民が占有する権利」ではなく、「国民から奪うべからざる権利」の意味に解釈するのが正当である」と答弁した内容(「日本国籍を喪失した場合の公務員の地位について」)があり、憲法学の通説も、機械的に国民・外国人の二分法で当てはめるのではなく、権利の性質と外国人の態様に応じた合理的解釈がされる「性質説」に立っているそうです(近藤敦外国人参政権に関するQ&A」)。

外国人参政権 - e-politics - アットウィキ

この答弁なるものの全文が見当たりません。
この解釈が本当にそうなのか?と言うのが疑問として残ります。


当然の法理云々ってのはみつかるんだがなぁ。

これなぁ……

戦争禁止のように、憲法に「日本国籍を持つもののみ」とか書いてあったらわかりやすかったんだがなぁ。
憲法に「禁止」を書くのがダメなわけじゃないんだから。


外国人参政権憲法保証じゃないと言っても、実際の選挙だと国会議員に対して地方議員の影響力は結構あるだろ。国会議員の地元での活動を考えたら。
例えば、島根県だと人口が 72 万人。1%、7千人の在日朝鮮半島国籍人(大韓民国籍・朝鮮籍)が書類上移住して選挙権を持ったら。当落線上に十分影響与えるでしょう。
で、当選のために「独島は韓国のものだ!」と叫ぶ連中が出てきたら? 当選したら? 条例が出来たら?


住民票を移すことが難しいと考える?
東京地方選挙で、公明党が何をやってましたっけ?
すでに実例があるわけで、それが民潭に出来ないとする理由が無い。


国の政治家は「まず」国益のために動かなければならないのが責務であり、義務だ。
外国人参政権」とはそのような『国益』に対して利益となるかどうか。その考えでもって考えるのが「正当な考え方」のはずなのだが、なぜ「基本的人権」で考える論が多いのかも謎だ。
基本的人権」については、参政権と言うのが「国家によって保障される」(自然発生の権利ではない)事から、自明だというのに。
日本の憲法にいくら「参政権」が書いてあっても、日本以外の国に対してその権利が日本国憲法では保障「されない」のが自明なように。


そもそもの傍論とて、戦時中に日本に「強制連行で(要出展)」つれてこられた外地の人(朝鮮半島出身者/台湾出身者)に対して、国籍選択の自由も無いままに投げ出したのだから、『感情的に付けた』とか言ってるし。少数論ではなく全員一致意見である以上、ここにことさらこだわっても仕方が無いのはわかっているが、だからこそ『感情的に』許せない。一個人の歴史観でもって、日本の参政権を外国に奪われるきっかけになっているということが。


だー!
これ以上となると愚痴になり、ロジックではなくなるので強制終了。
また時間できたら、憲法論以外の反論を自分の言葉で探してみたいです。


ついで。
この問題は在日韓国人だけの問題ではなく、在日中国人の問題でもある事は十分把握してますよね?>反対派
沖縄乗っ取りや「独立宣言」とか出来そうだよねぇ。