ラノベファンが質問に答える

ラノベファンに質問がある
いろいろと盛り上がってるので、私も答えてみた。

自分の読書履歴

とりあえずはまずこれから。
私自身の読書遍歴は、正直最初の記憶がない(^^;;
小学校の頃から本が好きで、読めるものを手当たり次第の記憶はある。小学校の図書室で学習マンガを読んでみたりとか。どちらかというと読みものに近い動物の話とか。
で、ラノベの方向に転がるきっかけというのも思い出せないのだけど、方向性だけ考えると……小説系統だけ上げるけど……

  • 確か小学校の頃だったと思うけど、ルパンとかシャーロックホームズとかあの手の推理物(子供向けアレンジ入ってる)ものにはまる
  • ファーブル昆虫記とかシートン動物記とかも小学校の頃じゃなかったかなぁ
  • 中学で一度落語の本とかにはまった記憶がある。父は元京都の産にして(以下略)
  • 完全にこちらの方向に走り始めるのは、宗田理氏の「ぼくらの」シリーズから。映画はクソ。
  • 高校の時にスレイヤーズにはまって、そこから一気にラノベの世界へ

てな感じ。この後は、富士見F、角川スニーカー、コバルト、etc...に手を出してるけど、TRPGリプレイやらPBMやら、親和性高いものも同様に手を出してます。
ところで。

ライトノベルとは?

ライトノベルの意味合いがとっ散らかってるのはいろいろと経緯があるが、ジャンル的なごった煮になってるのはその出自が出自だからだと考えている。
てなわけで「ライトノベルとは何か」から始めちゃうわけだが。

ラノベは何故ジャンル分けされない?ライトノベルという呼称は既に不要ではないか? 
ラノベはファンタジー、恋愛、ギャグ(?)、ミステリと内部で全く違うカテゴリがあると思う。
しかし語られるときは「ラノベ」だ。これはおかしいし、共通の要素は「ライト」という曖昧なものだ。昨今の「ミステリ」にも同じようなことが言えるが(剛力EXILEのあれとか私の嫌いな剛力探偵とかだ。剛力彩芽が嫌いなわけではないが、ただ単に剛力が出ている共通点がある)
まとめて語られることのデメリットも大きい。外部の認識がラノベ内部のどれかに偏ってしまい、食い違うからだ。

最後の質問からですな。
 
そもそも「ライトノベル」の言葉の発祥は nifty掲示板から始まります。
http://web.archive.org/web/19991008103835/http://www.nifty.ne.jp/forum/fsf/kikaku_w/ln_about.htm

ライトノベルとは。
 
 比較的若い読者、具体的には小学校高学年から20代くらいの人向けの文庫やノベルズから出ている小説の総称として、FSFで考えたものです。
 
 具体的には。
 
例)ソノラマ文庫角川スニーカー文庫富士見ファンタジア文庫
   電撃文庫、スーパークエスト文庫など。
   コバルト文庫集英社スーパーファンタジー文庫、講談社X文庫、
   小学館キャンバス文庫、C☆Novelsファンタジアなど。
(以下略)

なぜこのような定義になったのか?については
Aliログ:日記抜粋:ライトノベル
を参照……って、命名者本人のページも発掘できた。
名付け親だぞ: 神北情報局
「ライトノベル」の定義の狭さについて - Togetter
「ライトノベル」という名称誕生にまつわる秘話をNHK歴史番組っぽく - Togetter
ブクマにきちんとタグを入れるべきかなぁ……(^^;; ぐぐって発掘したので(笑)
 
というわけで、ジャンル分けの方向性がもともと

  • 海外産の小説
  • SF やファンタジーの書評を行う場所

これらと

  • 日本産の小説
  • 主に若い人向け。と言っても、すでに40年近い……ラノベの単語ができてからも20年以上の時間が経っているおかげで、私みたいな中年もいるが(w
  • エンターテインメント性が高い

これらを分けるための物でした。
つまりは「SF」やら「ファンタジー」やら「推理小説」やら、そういった「ジャンル」から分かれたものではなく、「海外産 SF/FT 作品」と「日本産のそれっぽいレーベルの作品」を分けるところからはじまってます。
結果、ライトノベルというのは「ターゲット年齢による分類を基本としたレーベルによる分類」からなってます。
だから、「SF」「ファンタジー」「推理」「ロボットアクション」「戦記」「恋愛」その他いろいろなごった煮な「ジャンル」となっているわけです。
「ジャンル分けされない」のではなく「ジャンル分けの軸が違う」というのが答えだと考えています。
 
ちなみに、ライトノベルの方向性を決定づけたんじゃないか?と上げる人が多い「スレイヤーズ」が出たのが、1990/01 ですね。
スレイヤーズで何が変わったのかというと、ちょっと当時の状況を網羅しきれてると思えないので、私は言葉としてまとまりません。
それでも出しちゃいますが、スレイヤーズが決定的に変えたのは「キャラクター」だと思うんですよね。世界を物語の添え物にしちゃった。キャラクターこそがすべてというか。
スレイヤーズ以前というと、「世界」が最初にある感じでして。
とは言っても、これがラノベの定義かというと、違うと思います。
スレイヤーズの影響が出るのは、少なくとも作品が出てから後ですから、ライトノベルの発明と1年未満の差しかない。
やっぱりそれ以前のところで分類が試みられてると考えるしかないんですよね。
 
そして話題は暴走する。
ライトノベルを考える時に、小説だけ見ててもしょうがないとは思うんですよね。
単語が発明された1990年よりも古い、1980年代には単語「おたく」が発明されてますし。おたく自体はもっと古くからあるわけですが。
アニメの小説化(ソノラマ文庫など)でメディアミックスはもっと古い。他、小説からでは AREAL(1986。ソノラマ文庫→ソノラマノベルズ)が OVA やオーディオドラマなどのメディアミックスも行われてます。ルナ=ヴァルガー(1988。スニーカー文庫)も思い出してみたり。これもOVAだったっけ。
要するに、今の「オタク」につながるようなジャンルと内容の爆発が、1990年までにいろいろと並列的に起きてるんですよね。
東浩紀分類のオタクの世代としては、第2世代での作品の爆発を受けたあたりに、ちょうど「ライトノベル」の単語の誕生がある。
おたく - Wikipedia
こちらから出すと、バブル景気世代で発明されています。
カンブリア紀みたい。
結局、ライトノベルが「SF」「FT」「推理」(以下略)のごった煮になってるのは、時代がそういう分類を求めたから、としか言いようがないかと。
 
で、最初に戻ると。

ラノベは何故ジャンル分けされない?ライトノベルという呼称は既に不要ではないか?

ライトノベル「と」ジャンル○○、という形で表記すればよいのであって、「ジャンル分けされない」(あるいはできない)訳ではない。
また、ライトノベルというのは、年齢帯的なものでの区分けとしても残っているため、不要ではない。
と考えます。
 
余談。
そういや、ラノベの推理の系譜ってなにが最初なんだろ?
聖エルザクルセイダーズが読者参加の結果、推理やってるのが最初? っていうか、ラノベの推理方面はコバルトを調べないとダメなのかな。そっちはあまり読んでない……
 
……ふと。NG88からのPBM各種とか、各種読参とか、本当にごった煮だったよなぁ……
そういや、ドラゴンクエストが1986年か。これも日本ファンタジーの源流の一つだしなぁ。
ともかく調べなきゃならない情報が多すぎて手が届かない。
ライトノベルの歴史を語ろうとすると - Togetter
hatikadukiさんによる『ライトノベル史』 - Togetter
結局、ラノベのジャンルがごった煮なのは、FSFの関係もあるし、その上で複数の流れが「ラノベ」でまとめられたからってのもあるんだよなぁ。

他の質問

とまぁ、ジャンルの話はまとまらないことがわかって思いっきりつっこんだので、残りを。

ラノベしか読まない?他の小説は読む?それは何故?どこに魅力を感じている?
魅力の確認と、読者がライトノベルから枝分かれしない事に疑問を持っている。

ラノベ以外も「読める」し、「読むことはある」。
けど、結局のところ主観評価で「面白いかどうか」が問題。
「面白い」かどうかって「ジャンル」の問題じゃなく、感性が合うかどうかなんだよね。

ラノベファンはラノベを一般娯楽小説(定義付けのために一般と称しているだけ)と同じだと思っている?
ラノベファンはラノベを「ラノベ」と別けられて語られる事を嫌っているように思う。
俺自信、ラノベは小説ではなくラノベだと思っている。侮蔑の意識ではなく、小説に求めるものが文章であるならば、ラノベに求めるものは文章から得られる情報だけではないと思うからだ。

小説(娯楽小説)→(ターゲット年齢による分類)→「一般小説」「ヤングアダルト」「ライトノベル」「ジュブナイル」「児童文学(児童小説)」

こんな感じかなぁ。

ラノベで、パロディ要素が殆どを占めるようなものはどう思っている?
俺はこれに関しては圧倒的に否定派だが、しばしばそういったパロディ乱造系の物がアニメ化されている。
そしてそれがあるからこそ、一般的な作品(定義付けのために)から分けられる事は否定出来ないのではないか。(もちろん他にも分けられる要素はある)

主観的な「好き嫌い」「好悪」と客観的にどう思うかは別。そしてこの場合「商業的に成功かどうか」というのも絡んでくるが、まぁどうでもいいか。
てーか、これを言い始めると、例えば映画では「裸の銃を持つ男」なんかが思い浮かぶわけで。
パロディ要素を思いっきり散りばめるというのは、ある種「教養を競う」という意味の娯楽でもある。
そもそも教養を競うという意味では、例えば西洋ではティーカップの模様とか、パーティーのテーマなどで遊ぶのが見られるし。
というわけで、他作品の知識を前提としたパロディ作品は、別に存在してもいいでしょ。
そういう「娯楽の手法」を「ライトノベル」で行っただけでしかない。
この手法をゲームで行った「プリズムコート」が脳内リンクしたが、余談。
 
つまりは、別にどうとも思わないなと。