微妙にずれてるなぁ

漢(オトコ)のコンピュータ道: プログラマを目指す10代が読むべきたった一冊の書籍。

vid GNUの理念は面白いけど、現実問題として利己(フリーライドなど)の部分がね。知っておく価値はあるけど、思想を委ねるのは難しい。 2010/09/30

b:id:nippondanji vid フリーライドという発想自体が既に毒されていると気づいたほうがいいです。過去の偉人たちの成果に頼らない「創造物」などはないのだから。独自のアイデアという概念は幻想。 2010/09/30

http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/nippondanji.blogspot.com/2010/09/blog-post.html

vid 利己が全く存在しない世界は現実に無いですが。労働などを搾取するされるの階層問題が必ず発生する。人間、霞を食べて生きてはいけないという部分を問題視なのです。理念ではなく現実の問題。 2010/09/30

nippondanji vid 本書にはリチャード・ストールマンによる「どうやって儲けるか」ということについての見解も出ていますよ。リチャード・ストールマンの洞察力はハンパじゃないです。 2010/09/30

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「儲ける」について、例えばソフトウェアのサポート事業で〜と言うのは知ってますし、わかってます。
というか、私自身が emacs など、彼らの著作物を利用してるわけで、GNU の理念自体に『反対』してるわけじゃないんですよ。
最初に書いた通り、思想を委ねるのが難しいと言っているように、現実面での困難さを問題視なんです。
 

GNU の概念って、ある種の共産主義ですよね。
過去の偉人の成果に頼ったものだから、社会に還元するのが道理だ。或いは義務だ。
そうして全員で幸せを。
と言うのは、理想としてはいいものですよ。そこは否定していません。思想として間違いとは一度も言っていない。
しかし、GNU の活動の場が現実には資本主義の場である以上、完全に委ねた場合は『GNU の思想にコミットしない人間による搾取』があり得るわけです。
もちろん、それらに対して GNU License と著作権(関連条約)でもって、GNU の思想を守らせると言う手段で防御しているのもわかってる。
 

けど、この思想が現実になぜ広まっていないのか?が私は答えだと考えています。
結局「労働」が「個人財産である」と言う部分が肝かと。
GNU の考え方は、あくまでもその中で「共有財産化してもいいよ」と言うレベルでしか浸透しない。
 

サポート事業以外では、「私の欲しい機能を実装するために、金を払う」と言うものがありますが、これも「金を出して他人にも有効な機能を公開しなければならなくなる」ため、金を出すというインセンティブにブレーキをかけてしまいます。それを超える魅力をどうやってか作り出さなくてはならない。
結局、「金」と言うのも「個人の財産」である以上、GNU にどうやってコミットさせれば「儲ける事が可能か」と言う部分で、GNU と反する概念が入っているんですよ。どんな方法で「儲ける」としても。
 

もう一つ。
GNU の思想に完全にコミットしたプロジェクト、かつ「食えてる」ものはどれだけあるでしょうか?
 

まとめ

私は、GNU の概念・理想・思想、それ自体は全く反対ではありません。むしろ私もコミットしてる側の人間です。
しかし、現実にそれを貫くにはかなりの力が必要なわけで、そういう意味で思想を委ねる事は難しいと考えています。
「制作者の利己」ではなく、「制作者以外の利己」が問題だと。
GNU の概念が「とある一つの思想」である以上、自由主義の中では、他人をこの思想に『強制的にコミットさせる』事は出来ません。してはいけません。この齟齬があるための問題です。
フリーライドと言う発想自体が毒されていると言いますが、フリーライドと言うのを考えてはならないと言うのは思想の自由に反すると言うのも考えて下さい。
 

Web と言う世界によって、GNU の理想に近づいてると言う現実があるので、もしかしたら未来的には可能かもしれません。
でも『今現在』を考えると、やはり「難しい」かと。
私が問題とするのは、あくまでも「現実に行う事が難しい」(GNU の思想の行動を貫く事が難しい)です。
『難しい』であって、「やるな」ではありません。「知るな」でもありません。
『難しい』です。

余談

Linux を見れば、一般社会向けにも成功した事例がある事は否定しません。
でもね。Linux が社会に浸透するまでに、そして今も入れてるリソースを見れば、と言う事なんです。
Linux でさえ、これです。
ましてや今から一個人では?と。
趣味としては否定しませんが、生業とするのは、やっぱり私は「難しいぞ。よく考えろよ」と言いますよ。