?Bでは入れ込む隙間がない

b:id:ku__ra__ge:20100320#bookmark-20130550

『自由とは他人を害さぬすべての中にある。』ですよ

結論としては同じなんだけど、「何故その結論が出るのか」の部分のショートカットが気になったと言う話なんですが。


何で「自由」とは「他人を害さぬ全て」という『制限』がつくんですか?
逆に言えば、この制限を『付けなければならない』んですか?
自由と言うのは最大限守られねばならないのに、なんで「他人を害さぬ」と言う『制限』を無条件に信じ込んでいるんですか? 今回の問題だって、『嫌な物を見ない自由』を『表現の自由が侵している』から侵害の解消のために法律で規制してもOKですよね? けど、実際に今回の条例は成立するなの大合唱になるような状態ですよね。
つまり、「他人を害さぬ全て」と言う条件は、自由に対して無条件で付加されてる条件じゃ無いんですよ。
そこの哲学の話です。


「自由」が何故尊いのか?
その上で
「自由」を制限する事が何故慎重でなければならないのか?
そして
「自由」は尊重せねばならないのに『法律と言う自由を縛るルールがあるのか』
です。


先にも書いた通り「他人を害してはならない」の理由付けは「自由」から直接的に導かれる物ではないと言う部分です。
「自由」は『個人』が存在すれば、そこに人権的に帰属します。しかし「制限」は(肉体的、物理的制限を除けば)『個人』には帰属しません。
それを同列に並べる事は?と言うのが違和感なんですよ。


でそれを哲学すると?
『自由とは他人を害さぬすべての中にある』
と言うのは、そういった哲学の先にある答えではありませんか?


(21日06時、誤字とわかりにくい表現を一部修正しました)