正直めんどくせぇ

南京「大虐殺」関連の?Bをいろいろと書いてるが、「感情的反発」による ID コールがうるさいことこの上ない。
論立てじゃないでぎゃんぎゃんわめいても、なんの価値もない。
ついでに、私の人格への誹謗中傷なんかも平気であるんだが、それは「論」ではない。
 
で、そこで投げてきた数々について、一括で書いとく。
ID コールしないのは「投げてきた人間」に対しては何の感情も持っていないため。投げられた「意見」にだけ価値を見ており、「人」に興味も価値も見出していないので。異口同音なんだよね。

「誰か」の殺害行為について

まず最初に書いておくが、私は現場で「なんらかの殺害行為」があったことは否定しない。

  1. 事は「戦争」であって、「軍兵」「便衣兵」などとの戦闘行為と殺害は「当然」発生する
  2. 特に対便衣兵だが、その戦闘において民間人を「巻き込む」「誤認する」などでの殺害が発生することも、「当然」視野に入れなければならない(この前にもアメリカがやってるしね)

だが、これらは精々が「南京事変」と呼ぶべき事象であって、「大虐殺」と呼ばれるいわれのものかと言うと、疑問が残る。

虐殺数30万

虐殺数が30万と言うのは、中国共産党が言っている「根拠が非常に薄い」代物。
その根拠を南京裁判の証拠としているが、南京裁判では「被害者数」についてきちん精査されていないという「事実」を忘れてはならない。
ちなみに、極東裁判でも同じく「個々の」証拠の精査はなされていない。
これらは、被害状況の調査などを中国で行う必要があったが、それが「当時」「第三者」によって「十分に」行われていないことからも理解しなきゃならん事なんだが。
 
ついで。中国政府と違い、中国の学者の中にも30万に疑問を抱いている人は存在する。
http://megalodon.jp/2008-0709-0042-42/www.nippon-foundation.or.jp/inter/topics_dtl/070131.html
 
もうひとつ。
極東裁判では、虐殺数は「二十万以上の人々」としている。
内訳は「カウント分が15万5千」。これに加えて「川に流されたなどで遺体が見つからなかったものがあるため」としている。
http://www.ibiblio.org/hyperwar/PTO/IMTFE/IMTFE-8.html

Estimates made at a later date indicate that the total number of civilians and prisoners of war murdered in Nanking and its vicinity during the first six weeks of the Japanese occupation was over 200,000. That these estimates are not exaggerated is borne out by the fact that burial societies and other organizations counted more than 155,000 bodies which they buried. They also reported that most of those were bound with their hands tied behind their backs. These figures do not take into account those persons whose bodies were destroyed by burning, or by throwing them into the Yangtze River, or otherwise disposed of by Japanese.

これを何故か「虐殺は20万以上で、以上としているのは川に流されて見つからなかったから。だから30万が正しい」と解説している大虐殺派が居る。

日本政府の考え方


ちなみに日本政府の考え方だが

京大虐殺に関する事実関係については意見の食い違いがみられるが、旧日本軍が南京城に侵入してから、非戦闘員に対して強奪と殺戮を行った事実を否定することはできない

であって、人数の30万を丸呑みしているわけではない。これは過去から変わらない。
私もこれと同じ立場であって、「南京での非戦闘員の殺害行為が無かった」との主張は行っていない。

学問と言う物

政治的には、極東裁判で「虐殺行為があった」と言うのは受け入れなければならない。事実、これを日本政府は受け入れている。
しかし「学問」はそこに縛られる必要は無い。『常に』学問は反論を許すものであり、『反論が許されなければならない』。反論を許さなければ、それは『学問』ではない。よって、極論を言えば「虐殺行為は無かった」と言う研究であろうと、『研究発表する行為を止めてはならない』。
相対性理論への反論だって許される行為なんだがな。
 
『学問』を『政治』で縛るのも同じ愚。
そして『学問』を「感情」でなじるのも同じ愚。
 
感情が許さないだろうが、被害者と加害者だろうが、『反論』を認めなくなった時点で、それは『歴史学』ではなく「大虐殺と言うカルト宗教」に堕する。
中国共産党がこのカルト宗教を「国是」としてるのと同じに。
 
その上で何度も重ねるが、少なくともある程度の規模での「殺害行為」があったことは数々の証拠を見るに『事実』と推定するに足る以上、『虐殺行為が無かった』と言う反論は、論拠に証拠能力が無い。
私的意見だが、被害者数1万人以下と言うのも、ちょっと考えにくい。(注:兵士、民間人の区別無しでの1万人以下)

ホメオパシーに同じように反論できるのか、ってのがどっかにあったな

馬鹿げたもので反論になっていない。
ホメオパシーと言うのは、「統計数学」によって「人間の主観」をいくらでも切り取ることが出来る。そういった人間の主観を切り取った末の答えが「薬効効果が無い」と言うもの。これが医学の治験による答え。
また、化学的にはアボガドロ数などによる見地から、「1分子も残っていない」事から「影響が出ない」事を証明できる。
最近では苦し紛れに「量子力学で波動がうつってるんだ!」と言うのもあるわけだが、そもそもそれは「量子力学」ではない、で終了。
このように、ホメオパシーは「人間主観が存在しない」レベルでの反論可能。
これが「理系」の学問の特長。「観測者」に依存しない「結果」が導き出される。
 
今回の「歴史学」と言うのは、歴史的な証拠の精査と積み重ねで行う物。「再現不可能」な物。
よって、「今ある証拠」を見て回るしかないわけだが、そこで「多数の証拠の間での矛盾が無いかどうか」が重要になる。また、「論者の主観」が入っていないかどうかとか、いろいろと。
だけど、先に書いたように「再現不可能」な事から、どうしても「主観」が抜け切らない。
よって、どこまで「人間の主観」を切り取った論を重ねることが出来るかが重要になる。
これは常に「観測者」に依存せざる得ない部分があるために起こる「文系」の学問の特長。
 
裁判の例えを出すが、「人間に人間を裁けるのか」と言うのがある。
それと同じこと。「人間が歴史を知ることが出来るのか」。
そのために人はいろいろな知恵を絞ってきたわけだが、何故か南京「大虐殺」論争になると感情で否定派をなじる人々が大挙して現れるんだな、これが。不思議でならない。

慈善団体の存在

これに疑問を投げたら、「何十年も残るわけ?」みたいなことを返された。
『精査する人間が現れなければ』何十年でも残るという事実は、枚挙に暇が無いはずなんだが? 歴史の教科書での日本の戦国時代辺りの肖像画の人物も、結構書き換わってる事実があるくらいに。コンピュータプログラムでも、かなり初期の kernel のバグが、今頃発見された〜ってネタが何かにあったな。
その上、「大虐殺派」がそういったことに反論なけりゃ、いくらでも残りますね。「否定派が何時までも生き残っている」と言うのと鏡合わせで全く同じ構造です。
 
本題に戻る。
埋葬記録の証拠として主に出てきている慈善団体に「紅卍会」と「崇善堂」がある。
このうち、「紅卍会」の活動記録が4万体あまりの埋葬、「崇善堂」が11万体の報告となっている。
で、「紅卍会」については他の記録とつき合わせても、ある程度の信憑性は取れるようだ。(極東裁判では疑惑が突きつけられている)
しかし「崇善堂」については、「中国共産党の提示する」当時の活動記録をみても、信憑性が非常に薄いと来ている。おまけに、活動記録自体がかなり曖昧に書かれている。
当時に団体は確かに存在しているが、その活動記録にはかなり疑念が残る団体なんだが?

「値切る」?

で、不思議なのが「30万を値切るのは許さん」、またはこれに近似した物言い。
先にも書いたがそもそも「30万」と言うのは中国共産党の言い分で、これに対しての証拠と言うのは論拠が薄い事は先に述べた。
「今は証拠が揃っている」と言ってくるのだろうが、そもそも「30万」と言う「答え」を「前提」にして「証拠を探す」と言うのは、『論理学』としておかしい。
「被害者数」と言うのは、「証拠」から「演繹」の結果として出すものであって、「30万と言う答えに合うように被害者数を示す証拠を集める」と言うのは、本末転倒と言うより他無い。
そして学問としても「常に」0から出発しなければならない代物。
 
その上で、日本の「大虐殺派の学者」は一番多いものでも確か「20万」そこそこじゃなかったっけな?
これに対して文句は無いの?
 
ちなみに、中国共産党は先に書いた通り「国是」が「30万」なので、これ以下は全て根拠無く否定している。
ネットで「30万はおかしい」に対しての反応って、ほとんどがこの中国共産党の態度と全く同じなんだよね。

「盛る」1

で、私がいくつかで書いてる「盛る」に対しても。2ch 言論を見てだろうといってるんだが。
上には中国共産党が30万と言っている、としているが、詳細に言えば中国共産党は30万以上が正しい。
南京裁判で出てきた(証拠の精査無しの数字の合計)26万に、数万人は証拠として出てないはずだから30万以上の被害者がいた、としている。
一応、南京裁判時から40万説、50万説ってのもあるはあったけどね。
 
そして実際に、「新しい研究」とやらで『侵華日軍南京大屠殺史研究会』が『1万人の犠牲者名簿を追加』を 2011/05/02 に行っているようだが。
これは実際に「盛っている」事実ではないの?

「盛る」2

 
で、「盛る」についてもう一つ。
南京裁判どころか極東裁判当時の被害者数の精査が慎重に行われては居ないというのが、歴史上の事実だ。これは裁判記録などからも明らか。
その上で、殺害数としての報告事例を見てみると

「上新河一帯の大虐殺」として報告された数字。

  • 中華民国:南京地方法院の調査報告「敵人罪行調査報告」の犠牲者数 2,873人
  • 中華人民共和国:政治協商会議・南京市委員会の「報告」の犠牲者数28,730人

国の主体が変わっただけで、被害者数10倍になるんですね。

出典:南京虐殺4 中国の主張「30万人大虐殺」 ( 脱・洗脳史講座 )

まぁ、これについてはまだ原典に当たれてないのですが。
しかし被害者の数字について、そもそもここは盛大かつ詳細な「検証」が必要な部分であるのに、裁判でもそれが全く行われていないことから、どれもこれも疑念が高いものばかりなわけです。
なんで「盛っていない」事が前提になるの?
確か、埋葬に関しては日本軍側からもお金が出てたみたいだけど、「お金目当てで盛る事は無かった」となんで言えるの?

心理問題

ちょっと視点を変えます。
どの資料を見るにしても、2つの問題があります。

  • 資料自体の証拠能力
    • 「伝聞」の場合は、その「伝聞者」の証言内容の正しさも問題となる
  • 物事を自分の「有利」に見せようとする心理

どの資料を見るにしても、これらのことを忘れてはならず、精査しなければならない。
大本営発表」と同じように、なんらかの利があれば「被害者数の増加」だって行うことは想像に難くない。なんで、「増加は絶対に行われていない」事が「絶対の前提」となるのか?

裁判と言うもの

でまぁ、南京裁判はともかく、極東裁判が『真っ当な裁判形態』であったなら、本来、そういう「証拠の精査」が行われていたのであろうが、実際にはそういう「証拠の精査」が行われているとは考えられないわけで。
そもそも、第二次世界大戦後でのあれこれって、事後法の色が強く、「正しく法が行われた」とは言えない事実まである。
結論としての「二十万以上である」も、南京裁判の30万以上からの「被害者数10万少なく見積もった理由」を明確に述べていない。

まとめ

つまりは、被害者だろうが加害者だろうが「値切る」だろうが「盛る」だろうが、そういった『偏った視線』の『全て』が、証拠を吟味する上で『問題だ』と言う突っ込みを?Bでは行ってるんだけどな。
「加害者と被害者を同じに見てる」のも当然。当たり前。常識。「加害者の偽証」を疑うのと同じように「被害者の偽証」も疑うのは、『証拠の論拠』を調べる上で当然の態度。この視点の偏りが問題なのは、痴漢冤罪やら、検察取調べやらで、何度もニュースに上がっている。
「被害者の証言を鵜呑み」「加害者の証言は都合の良いものは鵜呑み」「加害者の証言の都合の悪いものは却下」。これは学問でも裁判でも問題な態度なのはいうまでも無い。
「値切る」と言うのは言わずもがな、そもそも答えが分からない物に対して『証拠の精査』を積み重ねていくものなわけで。
「30万」を『確定事実』とする論拠がそもそも存在しない。

最後に

一応書いておく。
 
証拠資料として一番客観性の高いものは「スマイス調査団」による統計調査でしょう。これによると、城内での『市民の』殺害数は死者2400人、行方不明者4200人。合計6600人。
実際には調査「しきれない」部分や「紅卍会」の活動記録の4万人、他の資料なども考えると、城内外「中国共産党の言う範囲」で考えれば、『殺害数(not虐殺数)』は10万を越えない程度と言うのが、一番信憑性が出てくると考えています。これは私自身の私見
ちなみに「虐殺数」としないのは、城外での戦闘行為では女子供の被害者がほとんど見られないこと(紅卍会の記録)から、『通常の戦闘行為』での死者数であろう想定や(つまり、問題にならない戦闘行動での戦死者が混じっていること)、『捕虜の殺害などの扱い』について「虐殺に含めるかどうか」などに論争が起きていることなどから。
 
で。
結局、これ以上のことについては、「確定」とするだけの論拠はどこからも提示されず、「感情による口論」しか見ないために、「人数論争」についてのコメントなどは全て削除します。
証拠の重み付けの違いについても同様。今までと同じなら、やるだけ「無駄」です。
 
もうひとつ。
私のが虐殺数への疑惑を中心にしたものだから、「否定派」系のリンクになってますが、資料の読み漁りは「虐殺派」のものも『当然』読んでます。
その上で、論拠として一番主観が取り除かれている「のではないかと私の主観で考えている物」をピックアップした結果です。