で、これを書かないと話を聞かないのだろうから書いておく

はっきり書いておくが「ネット上の人数論争、虐殺論争」は「無価値」と私は判断している。
それは決定的な「原典」に当たれる人間が少ない事。私も当たれないものばかり。一次情報でも客観性の問題が数々あるのに、二次情報、三次情報ともなるとそもそもの「色眼鏡」が酷すぎる事。これは賛成派も反対派もだ。その上で、「宗教口論」になってて、「俺の意見が正しい。認めないのは人間じゃない」と言うような言説ばっかり。
こんなものは全くの無価値だ。
 
無価値であり、前述の私の議題「学問への態度」に対してノイズである以上、「数字」「定義」に関する反応は全てのコメントを削除する。(ルールの明示)
 

以上の持論の上で記述しておく。どうせ最後は誹謗中傷の応酬にしかならんから、やりたくないんだがな。
 

事件の有無から曖昧な痴漢と、大量殺害が厳然とあり、かつ確認済み事実を無視する奴の話を同列にすんなよ。

先に書いた通り、「大量殺害」については、「戦争に伴う戦闘行為」であれば問題ではない。
「大量」「虐殺」の意味で書いていたとした場合、「虐殺」があった事実があれば、即時に「30万」が正しくなるわけではない。戦闘行為での死亡者は「虐殺」ではない。
で、これを書くと「捕虜の殺害は虐殺だ!」と来るわけだが、そこに関しても「学者」レベルで虐殺派と非虐殺派が居る、と言う事実の時点で、やり合うだけ無駄。学者のレベルでこれな事が決定的な論拠が無い証左だ。そんな状況で、ネットでまともな「論」争ができるわけがない。
 
そもそも、極東裁判の時点でも「事実」が「確かに事実であったのか?」と言う『証拠の精査』がなされていない。当時の時点で「事件の有無が曖昧」なままに大雑把な数字で「事実認定」してる。「事実」には「証拠の客観性の精査」も当然含む。
そういう「事実」があるから、後世に「事実の有無」をあれこれやる事になってるのが現状。
「確認済みの事実を無視」と言うが、なら「極東裁判でさえ真っ当に『証拠の精査がなされていない』と言う事実を無視」するんですかね。
 
次。
「30万」と言うのは中国共産党によるプロパガンダ。これを鵜呑みに出来るわけがない。
日本の学者って「30万」を語ってるんでしたっけ?
 
次。
「20万以上」論の実例。
http://www.ibiblio.org/hyperwar/PTO/IMTFE/IMTFE-8.html
城内外(周辺含む)での15.5万人のカウントできた「埋葬者数」に、「燃やしたもの。河に流したもの」で見つからなかったであろうを加味して「20万以上の被害者」と推定しているもの。
ネットで「論拠」ありで論じるなら、これが一番客観性のある論拠でしょうな。
30万人説を取っていないね。

で、これ以上については

否定派のものも、肯定派のものも、出している証拠に色眼鏡と恣意が入りすぎているので、数字論争も「虐殺」論争もやる気はない。
先に書いた通り、ここについては客観性や証拠能力の高い資料に当たれる人間がそもそも少ないわけで、ネット上のは色が付きすぎている。
だから私はここには踏み込まない。
先に書いた通り、これらについては「無価値なイデオロギーの押し付け合い」にしかならない「から」やらない。
 
何度でも書くが、私の突っ込みの主題「学問としての態度」に対して、きちんとしたディベートにも使えるレベルでの反論で無ければ、ノイズとして削除する。
少なくとも私の手の届く範囲に一切のノイズを残す気はない。