言説が適当である証明になる危険があるんだがなぁ。

http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20120313-OYT1T00155.htm

これで、私が書いたコメントに☆が集まってるのが、非常に違和感。大丈夫なのかなぁ。

主人公は誰か? 馬鹿の行為でしかないわ。式典、儀礼の場でやること、礼節をわきまえていないのは、不起立と全く変わらん。教員に「止めろ」を突きつけた以上、自らの態度で示せ。議員を止めろ。

普段私の言説に近い立ち位置の方は全く問題ないんですけどね。
 
(ネット)サヨクで普段「思想信条の自由」を金科玉条に掲げて「不起立は妥当」と叫んでる人がこれに☆をつけた場合、それはダブルスタンダードを見事に証明してることになるんだよね。
☆つけた人を一々チェックして回ることはしないが、そこがちと気になった。
 
他の?Bでだけど、私は「起立命令は妥当」「思想信条の自由の問題ではない」と明確に書いており、また論点として「儀礼の場の礼節」「式典の主人公は誰か」と言うのも全くぶれさせてはいない。いないはず。
で、例えば同じような「儀礼」の論としては

こんなのも書いてるわけで、ところがこちらには☆無し。
だから「違和感」を感じている。
先に書いた通り、どちらも「儀礼の場の礼節」の問題として同じ視点なのに、府議のだけが受けてるってのが、?Bの見事な「異常」が浮き出てるんじゃね?とね。

思想信条の自由

(1)「不起立」を「思想信条の自由」として問題ないと言うなら、府議の「思想信条の自由」もまた同様に認め『なければならない』(MUST)。思想信条の自由と言うのは「全ての人間」に認められる『べき』ものであって、府議だから「認めなくて良い」と言うものではない。
(2)よって、「式典の儀礼」よりも「不起立」を叫ぶ人間は、同じく「式典の儀礼」よりも職員の態度を問題にしている「府議の演説」と言う「思想信条の自由」を『尊重しなければならない』。
分かりやすい論理です。
(※ 2012-03-14:上記部分、内容がおかしかったため、一部修正しました)
よって、普段「不起立」を掲げておきながら、府議を叩くのには賛同した場合は、『思想信条の自由は金科玉条に守られなければならないものだ』と言う普段の言動を「翻した」証明になる。
明らかな二重基準ダブルスタンダードだよね。
もしも「教師の思想信条の自由」は認められるべきで、「府議の思想信条の自由」は認めてはならない、だったら、それはヘイトクライムであり、レイシストだ。
あるいは職業による差別を平然と認めたことになる。職業による差別を認めるのであれば、「教師と言う職業故に起立命令は妥当」と言うのも、全く同じ「職業の差別故に押し付けられること」だろ。
と言う事で、見事に普段の言動が破綻する。
 
てなわけで、「府議を止めろ」と言う文面だけを見て、見事にダブルスタンダードの馬脚を現してる(ネット)サヨクが居たら、お笑い種だなーと。

礼節

でね。私のは最初から書いてる通りに、「儀礼の場の礼節の態度」なのよ。
教師の不起立は儀礼の場の礼節を欠く行為であり、府議の教師への文句もまた『主人公である生徒のための式典』であるが故に『生徒を無視している』事で礼節を欠いている。
そして、「礼節を欠く行為を止めない教師は、教師である資格無し」と宣言している党に属している以上、自らも同じ「法」に基づかなければ問題だと。泣いて馬謖を斬る、じゃないが多種多様な価値観に対して「法を寄る辺」として社会を構成している以上、「人によって法を違えることは問題」であると。
そして「法を作る人間である府議」故に「府議を止めろ」につながる。
で、この「府議を止めろ」だけを礼賛した☆じゃねーだろーな、と言うのが気になるわけで。
 
ちなみに、この「法」に対する態度も全く変えてない。「寄る辺」の方ね。

てなわけで

普段「不起立は問題ない!」叫んでて、私のに☆つけた虚け者はいねーだろーなと。
ま、調べるほどの興味は無いけど。
とにかく、☆の集まり方が不自然に感じたって事での疑念を書きなぐっておくテスト。