まず最初のお断り

これは書いておかないと、絶対に権威主義者な反論が来るであろうから。


例え学会で「標準」と認められた「学説」「論説」であっても、それを『学問』として、あるいは『議題』として取り上げるのであれば、「反論」は無条件で常に認められます。これは「学問」である以上、絶対の原理です。
問題はその「反論」の「論拠」に破綻が無いかかどうかです。論拠に破綻があれば、説得力が無い。論拠の説得力が薄ければ、認められない人が多くても当然。
あえて書いているのは、「学会はそういう風なことを認めていない」『だけ』では反論にはならないということを書いておかないと、権威主義による言論弾圧で反論とするコメントなどが来るであろう事が目に見えているからです。賛成派からも、反対派からも。
特に、社会学の分野でこの傾向が見られるので、先に記しておきます。


理系分野の多くなら簡単なんだけどね。特に物理学に関するものだと、どんだけ突飛な仮説であっても、最後は『実験』と言う形で確かめられる。多くの人は「トンデモだ」と考えるだろうが、まじめに計算式を用いて『光速は変動する』という説を唱えている人だっている。
社会学の場合は、そういった絶対的な『実験』が無い。『時代』に対して相対的な『実験』はあるんだけどね……


これらの弾圧の事例は、科学分野で出すと簡単か。
『社会による弾圧』事例は、天動説と地動説。地動説を唱えたとして死刑にまでされてる人も居ますね。
科学者による事例なら、量子力学。弾圧とまでは行かないが、かなりの議論になってますね。
で、正解はどうだったでしょう?


もちろん、これらの事例は科学分野だから、人間が関係しない「答え」を出せる。
社会学分野だと、これらの絶対的な「答え」と言うのは無い。『人間』が関係するから。
しかし、『社会』によって「答え」が変わると言う特質を持つ以上、逆に、科学以上に常に「反論」を認めなければならないとも言える。
例えば近隣だけ見ても、日本と韓国と北朝鮮と中国とロシアと台湾とで、同じ法律を持っていないように。