なんで大騒ぎするのか理解できない

千葉法相が死刑執行に署名した、と言うことで上や下への大騒ぎが起きてる。
なんでこんなに大騒ぎするのか、全く理解できない。

とりあえず
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100728-OYT1T00526.htm
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100728-OYT1T00631.htm
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100728-OYT1T00635.htm
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100729-OYT1T00282.htm
http://www.asahi.com/national/update/0729/TKY201007280664.html
痛いニュース(ノ∀`) : 千葉法相、2名死刑執行 自ら執行に立ち会う - ライブドアブログ
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100728/plc1007282201023-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/100728/stt1007281324006-n1.htm
リンクしておく。

死刑について考える

まず大前提。

  • 死刑を刑として存在させるかどうかは立法(国会)が決める
  • 死刑を刑として適用するかどうかは司法(裁判所)が決める
  • 死刑を刑として実行するのは行政が行う
  • 死刑の責任は国民がこれを負う
  • 大臣とは「国民の代表たる国会議員によって選ばれた首相」によって任命された行政の長

 
大臣とは、行政の長であり、法の適用が決まったものであれば、それに従うのが筋。
よって、死刑執行の署名を「行わない」と言うのは、仕事の放棄であり、大臣にふさわしくない。
 
今回の大臣の死刑署名だが、大臣の椅子に居座るためかとか、刑場公開の取引材料だとか、ぎゃーぎゃー言われているが、死刑署名がそんなものに使えるわけ無いだろと。
前述の通り、死刑執行の署名は大臣の『仕事』であって、行うことが当然であり、行わないことが問題なのだから。
行うべきものを行ったからと言って褒美を与える必要なんてあるわけが無い。
それが大臣と言う職務だ。
 
刑罰について死刑についてのみ、法務大臣の署名が必要であるのは、確かに「本当に死刑が正しいのか」と言うのを最後に確認するためであるとは思う。
また、条件や状況で(再審請求が出ているなど)6ヶ月以内に死刑執行を行うことが本当に正しいか?と言うのも考える必要があるからだろう。
そういう意味で、死刑執行の署名が行われないことがあると言うのは、全面的な間違いだとは言うつもりはない。
 
しかし、今厳然と死刑と言う刑罰を設けており、死刑と言う刑罰が適用されている以上、やはり死刑を実行するのが大臣の仕事だろ。
これを『個人の理念があるので、死刑は行いません』と言うのが問題だ。自民党時代にも居たが、こういうのは早急に大臣を辞めさせるべきだ。
 
で、今回のことで「理念を曲げたのは?」とか言ってるのが居るが、私には馬鹿の寝言にしか聞こえない。
『職務』『仕事』と、『理念』は別物だ。
死刑廃止を唱え、また「死刑について議論を深めなければならないと感じた」と言うのは、「個人の意見の自由」として尊重されるべきであり、その意味で「理念」を持ち続けることには異議は無い。
その理念を持ったまま「死刑執行の署名」をすることにも、また矛盾は無い。それは「仕事上の義務であり責任」だからだ。
 
死刑については、『個人の理念を理由に、公僕としての職務を放棄する』事が問題なのであり、千葉はこれを行ったのだから、大臣にふさわしくないのだ。
 
もちろん、個人として『個人の理念を理由に公僕の仕事を放棄するほど理念を優先していたのに、状況次第でひっくり返した』と言うのはあるが、私はこちらには興味は無い。これは「個人の資質」と「個人の思想の自由」の問題であるため、こちらを理由に攻めるのであれば、それは『このような人物を大臣に選んだ鳩山・管の任命責任』の問題だから。相手は千葉じゃない。
 
だから私は「仕事をしたこと」に対して非難を浴びせることには、真っ向から批判する。
大臣が仕事をするのは当然のことであり、そこには非は全く無い。時期の問題だのパフォーマンスだのいうが、それも関係ない。任命されている以上、『仕事』を行うことは『公僕としての義務』だからだ。
そして「仕事をした」事は、なんら評価にはつながらない。仕事は『行うことが当然』であって、その報酬は大臣の手当てだろ。「死刑執行の署名をした」ことは何の取引材料にもならない。
 
何故、私がこのような考え方をしているか?
簡単に言えば、これは「国旗掲揚、国歌斉唱での儀礼の振る舞いを行わない公立学校の教師」と全く同じ構図の問題だからです。
「個人の思想の自由」は認めなければなりません。
しかし、『公僕』である以上、『儀礼の場の礼節』を求められれば、それには答えるのが『義務』です。それは「思想の自由」の問題ではない。選択された「職業選択の自由」に伴う「職業の責任」の問題ですよ。
国歌斉唱したから思想が汚れた。そんな馬鹿な話がありますか。
これと全く同じことですよ。
 
死刑執行の署名をしたから、死刑制度反対の思想が穢れた。
そんな馬鹿な話があるか。
死刑執行の署名は「公僕としての職務上の義務」であって、思想の問題じゃない。
だからこそ、「個人の思想を優先して、公僕の義務を放棄」する事が問題なんでしょうが。自民党が与党の時代でも何人もこれをやった塵屑が居ますがね。それに比べると「個人の思想から」刑場に立ち会ったと言うのは、逆に「個人の」評価には値しますよ。「公僕の」評価には全く価値が無いですが。
閑話休題
 

ともかく。

私はこの死刑執行の署名で騒いでる理由がさっぱりわかりません。
死刑執行の署名は職務上の義務。行うことが当然であって、そこには個人の思想など待ったく関係ない。
逆に、個人の思想で放棄することがおかしいのであって、現実に『個人の思想で放棄する』を実践した過去がある時点で、大臣にふさわしくない理由の一つ足り得る。
そして、『今更』執行したところで、それが当然の話であって、『今まで』放棄してきたことを覆す理由にはならない。刑場の公開の取引材料にもならない。
 
私には騒ぐ理由がさっぱり分かりません。
民間人であろうが直近の選挙で議員から落選してようが、大臣の任命権は首相にあります。大臣であることは、大臣の責任じゃない。そりゃ、要請して受けたと言うのはあるでしょうけど、それとて首相が責任者ですよ。
民間人が死刑執行の署名をしただの、落選議員が署名しただのほえてるのが居ますが、完全に的外れでしょ。死刑執行の署名は法相の仕事であって、法相が署名しているのだから、何の問題も無いでしょ。これが農相が署名したとかなら問題ですがね。
もう辞める人間がだの言うのも居ますが、それじゃぁ任期末は大臣は仕事をしなくていいんですか? そんな馬鹿な話がありますか。任期の最後まで仕事をするのが当然でしょ。
大臣が仕事をする事が、なんで問題なのですか?
 
私には騒ぐ理由がさっぱり分かりません。
大臣は仕事をしただけ。
千葉法相が大臣にふさわしくないのは、『今更』死刑の署名と言う仕事をしたから覆るものじゃない。同、管の任命責任もね。
千葉が個人の理念として死刑反対は、それを掲げること自体は問題じゃない。それを義務の放棄の理由としない限りは。同時に、死刑執行に署名したから理念が曲がったと言う話でも無い。
 
何が義務か。
何が否定されているのか。
何を批判しなければならないのか。
どーもこの問題、このあたりがごっちゃになって、なんでもいいから民主党を叩きたいからだけの材料にされている気がしてならない。
違うだろ。民主党を叩くなら、問題に見える行動を切り分けて分析して『問題にしてはならない物』をきちんと切り分けてからにしろよ。
 
千葉が死刑廃止を唱えていたことも、死刑執行に署名したことも、なんら問題ある行動じゃないだろ。
死刑制度について議論をしなきゃと言うのも、常に考えなきゃならん問題だよ。社会哲学としてもな。
 
今回の死刑執行だが、本当に民主党を叩く材料として「適当」か?
確かに注意深く切り分ければいけるかもしれないけどな。そこまで本当に考えたか?