やっと理解しました。

そして確信出来ました。

言おうとしたのは、経験的なものとして理解するべき科学的事実を、
論理的に理解しようとすると、
トートロジーということになっておかしいということです。
元の文章でそういうことを書いたので、分かると思いました。
たしかに「経験的事実がトートロジー」という部分だけを取り出すと、
意味不明ですが…。

http://d.hatena.ne.jp/next49/20100810/p3#c1281515909

何故トートロジーと言う結論が出るとしか考えられないか、ですが、それは論理の適用方法を完全に間違えているからです。
科学において「経験的真理」は『公理』です。公理とはそれ自体で自明であって、証明の対象ではありません。公理から出た真となる論理は定理であって、科学は「科学の公理系(論理体系)」における『定理』しか語り得ぬのです。
科学を用いて科学の公理を語る事は出来ません。
それを「語る事が出来る」とするから、トートロジーとなるのです。

 
そして命題を『科学の公理』である「経験的真理(の客観性)」とするのであれば、それを語る公理系に「科学」を用いてはなりません。
infobloga さんが問題とする、机の上のコップなどを語り得る事が出来るのは、哲学における「認識」「認知」「経験の共有」と言う部分になります。
従って、「机上のコップ」を語るには、『哲学』を語らなければなりません。
『科学』で語っても、答えに永久にたどり着けないんですよ。それは「トートロジーだから」ではなく、「適用する公理系」を間違えているからです。

 
そこでホメオパシーとは何かです。いや、偽科学とは何かですかね。
これらのほとんどは「科学の公理系」を用いておきながら、「科学の公理系」から外れた結論を真としています。
だから『科学』によって『論理的に否定』出来るのです。
これらを追い詰めた結果として、『科学の公理系の外』で論理体系を作り上げたのなら、それは『議論の結果』として『科学で語り得ぬ物』となります。そうして初めて偽科学ではなく、オカルトや宗教となる。
偽科学の問題は『科学の公理系の中である』と名乗る事なんですよ。実際には『科学の公理系の外』で作られた公理系であろうと。偽科学が『科学の公理系』を名乗る限り、それは『科学の公理系』で否定が可能です。