ネットを重視する理由

「ネットで口論」が起きてるのだから、「ネットで証拠を確かめることが出来る」のは必須でしょう。
事を「私とあなた」だけで見ても価値は無い。それは数多の繰り返しでしかない。改めてやる価値は全く無い。徒労に付き合う気は無い。
そもそも「私が何か証拠を挙げた」時に、それを本当に無謬で信用するの? とてもじゃないけど、証拠の客観性もトリミングも、どれだけ厳格に私がやっても信用されるとは思わない。そんな楽天家じゃない。
図書館経由で資料を集めて、ネットに上げたとしても、「あなた」は同じ苦労をかけてくれると、どうやってその担保を取るの?
そして「挙げた資料」が「問題である」と言う指摘をした・されたとする。『その指摘が妥当である事』をどうやって担保するの?
「私とあなた」で閉じてるうちは、それは全く無意味な口論にしかならない。これは現在のネットでの賛否サイトがすでにやってることだ。
 
証拠の客観性の担保は、第三者によって担保するしかない。
そこで問題になるのが「口論はネットで起きている」と言う事で、「物理アクセスはコストが高い」って事。
 
学者なら別にいいよ。そうやって調べて考えることが生業だ。物理的な史料確保のコストも、生業の一部だ。客観性は同じ学者と反論者によって担保される。その仕組み全体が学問だし、学会だし、論文雑誌だ。
もっとも、学会も論文雑誌も、時に方向性が歪だったりするけどね。
だけど、一般人がやってるのであれば、そこまでのコストを「第三者が払う」と言う想定は、とてもじゃないけど出来ない。混迷してるネタだからこそ、証拠の客観性の担保は重要だと考える。「第三者の検証性」でしか「証拠の客観性」は担保できない。
『橋下市長が小中学生に towitter を義務付けた』
URL 一つ飛べば「事実ではない」と分かるネタですら、「コストを払わない」人がどれだけ出たか。証拠の客観性確認のコストを低くすることは、それだけ難しい話だ。
 
それを考えれば、最低限 URL 飛べば証拠の客観性を一定レベル以上で担保できるという状況に無い以上、「私が証拠を出した」としても、客観性の確認を取らずに、「否定論だ。歴史修正主義者だ。馬鹿だ。死ねこのレイシスト」といわれるのがオチ。繰り返される歴史。
 
そういう「諦観」を覆す?Bコメは一切無い。
「資料を見てない馬鹿が」と言うのがあふれてる現状、こんな状況でまともな「議論」が出来るとは想定できない。私に対する?Bがその証拠そのもの。
「議論できる環境じゃない」から「議論はやりません」なんだよね。
物理的にがんばったとしても、証拠をそろえる苦労に見合った「反論」が来るとは到底思えない。
今の?Bでさえ、何度書いても私が何を問題視してるのかを間違えたものが大半なんだし。
 
それこそ「数字」の問題じゃない。それ以前の「議論の場が成り立つのか」の問題。現実に成り立ってない以上、成り立たないものを繰り返す価値は無い。
 
自分の言いたいことが言えれば、それが「議論の場が成り立つ」じゃない。「反論が可能な場が同時に成り立っている」「論の客観性の検証可能性」これら2つもあって、初めて議論の場が成り立つだ。
この南京事変口論では、後者2つ「反論が可能な場」「論の客観性」が成り立っていない。お互いにてんでばらばらに好き勝手言ってるだけ。そんなものを繰り返す価値は全く無いね。