トラックバックより:『国民』とは誰か?

引用にいちいち付けるのが大変なので、裁判判例はこちらから

本題。

http://d.hatena.ne.jp/luxe01/20100114/1263480736

長いので私、vid の意訳。

憲法15条1項の「国民固有」とはどういう意味か?

  1. 『国民』とは誰か?
  2. 『固有』の意味とは何か?

で、2 については特に触れてなくて、主に 1 の面からの考察になってる。中で少し触れてるが、前述の「通説」の立場で解釈している。


違和感が数点。

違和感1。「住民」と「国民」の解釈の方向性

民主制原理からの説明
第1の見解は,公務員の選定罷免権とは「自らのことは自らが決める」という民主制原理のあらわれであるのだから,国籍保持者の範囲を自由に拡張・縮小した結果,有権者の範囲と統治の客体の範囲が著しく乖離するような場合には,民主制原理に背馳することになる。したがって,公務員の選定罷免権の享有主体の範囲は,「国籍保持者」か否かではなく,「治者と被治者の自同性」によって画される,とするものである。

ここでひとつのメルクマールとなるのが,「同一の生活実態」の基準である。

前回のエントリ論点整理と頭の体操 - 3Lで整理した見解のうち,中央と地方の参政権を一体的に考える見解においては,憲法15条1項にいう「国民」とは生活実態を同じくする「住民」のことであるから,外国人であっても「住民」に含まれる場合は,公務員選定罷免権を付与してもかまわない,という見解が存在する。この見解は,憲法15条1項の「国民」概念を具体化する際に,憲法10条の「国民」概念を媒介することなく独自に「国民」概念を構築するものであろう。

解釈の方向性に疑問。
「住民」とは「国民」のことであると言う解釈方向性が

そこで、憲法15条1項にいう公務員を選定罷免する権利の保障が我が国に在留する外国人に対しても及ぶものと解すべきか否かについて考えると、憲法の右規定は、国民主権の原理に基づき、公務員の終局的任免権が国民に存することを表明したものにほかならないところ、主権が「日本国民」に存するものとする憲法前文及び1条の規定に照らせば、憲法国民主権の原理における国民とは、日本国民すなわち我が国の国籍を有する者を意味することは明らかである。そうとすれば、公務員を選定罷免する権利を保障した憲法15条1項の規定は、権利の性質上日本国民のみをその対象とし、右規定による権利の保障は、我が国に在留する外国人には及ばないものと解するのが相当である。そして、地方自治について定める憲法第8章は、93条2項において、地方公共団体の長、その議会の議員及び法律の定めるその他の吏員は、その地方公共団体の住民が直接これを選挙するものと規定しているのであるが、前記の国民主権の原理及びこれに基づく憲法15条1項の規定の趣旨に鑑み、地方公共団体が我が国の統治機構の不可欠の要素を成すものであることをも併せ考えると、憲法93条2項にいう「住民」とは、地方公共団体の区域内に住所を有する日本国民を意味するものと解するのが相当であり、右規定は、我が国に在留する外国人に対して、地方公共団体の長、その議会の議員等の選挙の権利を保障したものということはできない。

件の最高裁判決の傍論で述べられており、

以上検討したところによれば、地方公共団体の長及びその議会の議員の選挙の権利を日本国民たる住民に限るものとした地方自治法11条、18条、公職選挙法9条2項の各規定が憲法15条1項、93条2項に違反するものということはできず、その他本件各決定を維持すべきものとした原審の判断に憲法の右各規定の解釈の誤りがあるということもできない。

本論に示された『原審の解釈に問題は無い』と言う最高裁判断を元に原審の判例に当たると

3 憲法93条2項所定の「住民」概念
[29] 憲法93条2項は、地方公共団体の長、その議会の議員及び法律の定めるその他の吏員は、その地方公共団体の「住民」が、直接これを選挙する、と規定しているところ、右地方公共団体についての選挙権も、国民主権の原理に基づくもので、憲法15条の「国民」が選挙する公務員には、地方公共団体の長等の地方公共団体の公務員も含まれていると解されること、地方公共団体も国から全く独立して存在するものではなく、地方公共団体の政治、行政は、国の政治、行政と互いに関連しており、地方公共団体が国の事務を処理することもあることからすると、憲法93条2項所定の「住民」を、憲法15条の「国民」とは別個の概念としてとらえるのは適切ではなく、これを統一的に理解すべきであり、結局、憲法93条2項が「住民」の文言を使用しているのは、地方公共団体の公務員については、特にその地域に居住する者により直接選出されるものであることを明らかにするためであると解するのが相当であって、憲法93条2項の「住民」は、日本「国民」であることがその前提となっているというべきである。

とある、これらの判例解釈に対して逆方向の考え方だと、私は解釈する。

そもそも、

前回のエントリ論点整理と頭の体操 - 3Lで整理した見解のうち,中央と地方の参政権を一体的に考える見解においては,憲法15条1項にいう「国民」とは生活実態を同じくする「住民」のことであるから,外国人であっても「住民」に含まれる場合は,公務員選定罷免権を付与してもかまわない,という見解が存在する。この見解は,憲法15条1項の「国民」概念を具体化する際に,憲法10条の「国民」概念を媒介することなく独自に「国民」概念を構築するものであろう。

の部分だけを考えても、当該裁判の当初の訴えが

(二) 憲法上の「国民」概念
[10] 日本国憲法前文の規定には、全世界、全人類的な民主主義及び人権・平和保障を承認し、かつその実効性確保を国家目標とし、その目標を達成するため、日本国の領域においては日本国が責任分担として民主主義及び人権・平和を保障し実効あらしめるという思想が表わされている。そして、その思想から、地球上にいる人は、どこか一箇所で、自分の属する地域の政治に参加すべきであるとの原則が導き出される。右の「どこか一箇所」とは、参政権の性質上、その人が定住している地域でなければならないのであるから、憲法15条等の「国民」には、当然に日本国内における定住者が含まれることになる。
(三) 憲法93条2項所定の「住民」概念
[11] 地方政治レベルの参政権は、限定された地域共同体において、共同生活上の利害関係について共同決定するという趣旨からして、当該地域の住民、すなわち、定住者に限らず「居住者」に与えられるものであり、憲法93条2項所定の「住民」も、このような概念と解すべきであって、このことは、地方自治の本旨憲法92条)の根幹というべきである。
(四) 地方自治法11条18条、公職選挙法9条2項所定の「日本国民」
[12]  地方自治法11条、18条、公職選挙法9条2項は、地方公共団体に関する選挙の選挙権を有する者の要件として、「日本国民」であることを挙げているが、右(二)の憲法上の「国民」についての解釈及び右(三)の憲法93条2項の解釈からすると、右「日本国民」には、日本国内における定住者が含まれなければならない。したがって、右「日本国民」を、日本国籍を有する者と限定的に解したのでは、右の各条は、憲法(14条、15条、92条、93条等)に違反することになる。

このような原告の主張が元にあり、最高裁まで争われて「上告棄却」となった以上、『生活実態』を論拠とする「住民」を前提に憲法15条の「国民」解釈することは、件の最高裁判決でもって法的拘束力を持って否定されていると考えるのが妥当である、と私は解釈する。

違和感2。

自分へのトラックバックは不要なので、自分の分だけ id を取りました。(改変部分)

権利が先か,国家が先か
最後に,ブコメでvidが指摘しているように,「参政権は国家の存在を前提としたものであるから,前国家的な権利ではなく後国家的な権利であり,国籍でもってその享有主体が画されるのであるから,外国人に参政権は付与できない」という主張が考えられるが,はたしてそうであろうか。「自らのことは自らが決める」との民主制原理からすれば,国籍を有するか否かではなく住民であるか否かで決するほうがすなおではないか。

あくまで国籍にこだわるのであれば,それは憲法制定権力を有する者の範囲が国籍によって画されるとすれば足りるのではないか。憲法10条が国民概念を憲法事項ではなく法律事項としている以上は,こうした解釈を採らざるをえないのではないか。その点ではブコメでのid:neogratcheによる「憲法改正してでも「国民」の定義を明確にするべきじゃないの?」との指摘は正当な指摘であるように思われる。

前段の「住民であるか否か」についてはすでに述べたように最高裁判例で否定されています。

そして後段の国籍部分。
で、これについては結論部よりも前でもあるけど、あえて結論部で。
思考として次のような考え方をしていた。

  1. 公務員の選定罷免権は「国民」の権利である(憲法15条1項)。
  2. 「国民」たる要件は法律で定める(憲法10条)。
  3. 「国民」たる要件は「この法律〔=国籍法〕」で定める(国籍法1条)。
  4. 「国籍」は法律で定めるのだから、法律一つで憲法15条1項の範囲が変化するのはおかしい
  5. したがって「自治」の観点からすれば、「国籍」ではなく「住民」とするのが正しいのではないか

概ねこんな感じと解釈。違っているならば突っ込みお願いします。


私は、この考え方は3と4の間に大きな断絶があると考えます。
法律の規範の性質と言うのは、その強制力と言うのが

  1. 条約(国際条約・二カ国間条約など)
  2. 憲法
  3. 法律
  4. 条例

と言うような段階を取ると記憶しています。まだ間にいくつも何かあったと思うけど、法律は専門じゃないので思い出せない(−−;;

で上の思考の流れを見ると

  • 法律の性質で参政権の範囲が変わるのだから、憲法参政権の範囲も変わるよね。けど法律でもって解釈が変わるという、その憲法解釈はおかしいよね(vid 意訳)

と言う理由だと解釈しました。

これが憲法解釈論として正しい方法なのかは、私にはわかりません。
しかし違和感が残ります。
『下位法の「性質」によって上位法の解釈が変わるというのは、法律の読み方として正しいのか?』
このような下克上を理由にするという部分が、法解釈のロジックとして正しいように思えないのです。
逆に言えば、これを許すとなると、憲法にある『法律で定める』とされているすべてが問題になるというのが、正しい法解釈になるのではないかと。それは本当に正しい読み方でしょうか?


ついでに言えば、このような論理構成をとるなら、「帰化」を「法律で」認めて居る国家であれば、『すべての国家が』同じロジックを取らなければならないと思われますが、このような論理構成で外国人地方参政権を認めている国家が他にあるのでしょうか?
私は外国の法理にも詳しくないので、このロジックで外国人参政権を認めている国があるのかどうかは知りませんが、そんな国があると聞いたことがありません。


と言うわけで、『10条ドグマ』として書かれた id:luxe01:20100114:1263480736 さんのロジックには、全く同意できません。


あー……これについては、こちらを持ち出すほうがわかりやすいですね。
id:luxe01:20100112:1263290058 さんより

中央・地方一体説のように「国民」に外国人を含めて解釈するのは無理ではないか?
憲法10条は「日本国民たる要件は、法律でこれを定める。」と規定しており,ここでいう「法律」を国籍法ととらえれば,「国民」は国籍保持者に限られるはずであり,それ以外の外国人を「国民」に含める余地はない,との批判がありえる。

しかし,

  1. 「国民」とは「国籍保持者」である
  2. 「国籍保持者」が誰であるかは国籍法によって決定される
  3. 現行の国籍法は血統主義を採用している(両親のいずれかが日本人であれば子は日本国籍を取得する)
  4. 国籍法により国籍を取得できない者は「国民」に含まれない(両親がともに外国人の場合はたとえ日本で生まれていようとも子は日本国籍を取得できない)
  5. したがって,国籍法により国籍を取得できない者に対して参政権を付与することは15条1項に反する

と考えると,法律が憲法の中身を決定することになるため,こうした解釈は採用できない*2。

そもそも国籍取得の方法は血統主義に限られるものではなく,出生地主義を採用している国も存在する。
したがって,憲法15条1項の「国民」概念を定めるにあたって,憲法10条の「国民」概念を媒介して,「国籍法が国籍保持者を決定しているのだから日本国籍を有しない外国人を「国民」に含めることはできない」ということはできない。

仮に国籍法が出生地主義を採用した場合は,両親が日本人であれ外国人であれ,子は日本で生まれた以上すべて日本国籍を取得できるのであり,現在「外国人」とされている者(特に2世以降の人々)であっても,潜在的に国籍取得の可能性を有している。したがって,かれらを憲法15条1項にいう「国民」に含めてはならない,ということにはならない*3。

(本文内注釈部分を別途引用)
*2:あくまで憲法が法律に優位するのであって,法律が憲法に優位することはありえないから,法律で〇〇と決まっているから憲法でも〇〇と解釈しなければならないということはできない。これが可能になれば,厳格に定められた憲法改正手続を踏まなくても法律の改正によって実質的な憲法改正が可能となってしまう。
*3:つまるところ,本説は「国民」=「国籍保持者」とは理解しないのであろう。

私はこの 5 番目が思考の跳躍だと考えます。

「国民」と言うのは『現に』定められている「国籍法」によって判断、また確定できる事項です。解釈論の問題。
これを「国籍は国籍法によって自由に定める事が出来る」と言うのを理由に「憲法の範囲が変わる」……だから「この解釈はおかしい」と言う話になっています。しかしこれは立法論です。
憲法に言う「国民」=「国籍法による日本国籍保持者」は、「これから立てる法律の」立法論で決まるものではありません。「現にある法律の」解釈論により決まるものです。つまり、一意に決まっている問題です。
そして「国籍法」が「出生地主義」か「血統主義」かも問題ではありません。解釈論で決まっている問題だからです。

更に言えば、立法論であっても自由に設定できるわけではなく

[27] そこで、日本国憲法の規定を見るに、右のとおり、憲法15条1項は、公務員を選定罷免することは、「国民」固有の権利であるとしているところ、これは、前記(一)で述べたとおり、憲法の基本原理の一つである国民主権の原理に基づくものであるが、他方、憲法10条は、「日本国民たる要件は、法律でこれを定める。」と規定して、具体的にどの範囲の者を「国民」とするか、その要件については法律に委ねており、これを受けて、国籍法が日本国民たる要件を定めている。もちろん、法律である国籍法において、日本国民たる要件を全く自由に定めることができるものではなく、それは憲法の各条項及び基本原理と調和するものでなければならないが、現行の血統主義を基本とする国籍法には、憲法の各条項及び基本原理と調和しない点があると認めることはできない。

定住外国人地方選挙権訴訟 第一審判決

憲法などと調和するものでなければならないという判断をしており、この地裁の解釈に問題が無いと言うのは、最高裁判例本論で述べられています。


以上。
「国籍法」と「憲法」の関係について、解釈論と立法論を混ぜた論であるため、私にはこの解釈は『法律論』として不適当であると考えます。

もしもこの解釈が「妥当」であるなら、国籍法は「憲法」に記載しない限り、憲法に言う「国民」の記述すべてが「不安定」となります。それも日本だけでなく。
そのような解釈が本当に「妥当」であれば、今度は憲法の上位になる国際法

  • 国内管轄事項への不干渉義務の原則(第三原則)
  • 人民自決の原則(第五原則)
  • 国の主権平等の原則(第六原則)
国際法 - Wikipedia

これらに干渉するのではないでしょうか。
よって、やはり前述の解釈の採用は出来ません。