「固有」の解釈論
では、後回しにしていた「固有」の解釈論です。
前述の通り、「固有」については
参政権は「国民固有の権利」なので、外国人には認められないのではないでしょうか?
日本国憲法15条は「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である」と述べています。
この場合の「国民固有の権利」という言葉は「国民が当然もっているとされる権利、したがって、他人にゆずりわたす事のできない権利」とされています。
この条文を根拠として「選挙権は、憲法15条により、国民固有の権利であるから、外国人には認められない」といった解釈が主張される事もありますが、日本政府の有権解釈として、内閣法制局が「憲法15条の「固有の権利」というものは「国民が占有する権利」ではなく、「国民から奪うべからざる権利」の意味に解釈するのが正当である」と答弁した内容(「日本国籍を喪失した場合の公務員の地位について」)があり、憲法学の通説も、機械的に国民・外国人の二分法で当てはめるのではなく、権利の性質と外国人の態様に応じた合理的解釈がされる「性質説」に立っているそうです(近藤敦「外国人参政権に関するQ&A」)。
外国人参政権 - e-politics - アットウィキ
そのため、この主張に関する結論としては、「そういった立論をする事は可能だけれども、政府の有権解釈や憲法学の通説から外れた少数説の立場に立った立論になる」という事になると思います。
と言うのが通説との事ですが、一番最初に書いたとおり
ために、通説から外れている「から」間違いだという反論は、その論拠に一切の説得性を持たないと記しておきます。
論拠に対しての説得性が『薄い』と言うのは妥当ですが、そんなことは理解のうえで書いています。
「固有」の解釈について
では本題。
第15条 公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。
http://www.houko.com/00/01/S21/000.HTM
私が「固有」について上記解釈の立場を採らない思考ルート。
国際法の原則から
まず、参政権と言うのは「社会」がその権利を保障しないと、存在しない権利です。
したがって、参政権は常に「社会」をその前提とします。
次に、国際法に照らし合わせて、「社会」を「国家」としたときに、その独立性が国際法の原則によって保障されています。再度引用。
国際法 - Wikipedia
- 国内管轄事項への不干渉義務の原則(第三原則)
- 人民自決の原則(第五原則)
- 国の主権平等の原則(第六原則)
国家は独立して運営することが原則として保障され、またその運営者はその国家に連なるものにあると。
これを示したのが日本国憲法の前文に存在します。
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものてあつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
http://www.houko.com/00/01/S21/000.HTM
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
- 「ここに主権が国民に存することを宣言し」(国民主権)
- 「自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。」
つまり、「国家の運営」と言うのは、「国際法に認められ憲法で保障した(not 保障された)国民の権利である」と言うことが出来ます。
ここで「外国人への地方参政権の権利を与えること」について考えてみると。
これは国際法の原則
国際法 - Wikipedia
- 国内管轄事項への不干渉義務の原則(第三原則)
- 人民自決の原則(第五原則)
- 国の主権平等の原則(第六原則)
に問題があると考えざるえません。
参政権と言うのは「内政」であり、「国内管轄事項」への明確な干渉です。
また外国人は「人民」自決の「人民」から外れています。
よって「国の主権の平等」から考えれば、「他国による主権への侵害」と言えると考えます。
以上、国際法の基本的な立場から来る問題としても、外国人参政権は問題があると考えるのが妥当だと考えます。
参政権の性質から
憲法第3章にある諸所の権利のうち、参政権以外も多々あります。
そして参政権だけが「国家が保障する権利」です。
『固有』の解釈として、「国民から奪うべからざる権利」であるとされますが、では他の権利はどうでしょうか? 当然ですが「国民から奪うべからざる権利」であることは言うまでもありません。
では、参政権以外は法律で制限されるから、と言う反論は可能でしょうか? これも不可能です。参政権(選挙権)もまた、法律により一定条件で「停止(国家によって奪われてるという状態と同じ)」されます。受刑者など。よって、他の権利とことさらの違いが認められません。
つまり、参政権と言う権利が他のものと違うと言うのは、
- 国際法によって国家の独立運営が認められている原則がある
- この原則に基づき、国家が国民に対して保障した権利である
と言う部分だと考えます。
これらを表したのが、憲法15条1項の
第15条 公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。
http://www.houko.com/00/01/S21/000.HTM
この固有にあり、これが「国家独立運営を認めた権利であるため、国民に『のみ』その権利を限定する」と解釈するのが妥当と考える理由です。
事実、「固有」の文言はこの部分以外に憲法に存在しません。
以上により、私は「国民固有」とは「日本国民のみに」と解釈するのが妥当と考え、『外国人参政権』は『憲法違反の疑いがある』と言う反論とします。