科学と言うもの

さて、ではもう一つ。

「科学はホメオパシーを否定できない」への批判に反論する : 情報学ブログ コメント欄より

> その理屈だと「論理」それ自体も「人間がそう定義しただけだからそれが正しいとは言えない」になっちゃうのよね
> 科学が正しいんじゃなくて、現状で一番正しいとされているのが科学。
> それだけなんだけどな。
 
全くその通りですよ。
それが分からない人に説明してるだけです。
ちなみに、論理が「人間がそう定義しただけだからそれが正しいとは言えない」というのは、
論理学では常識です。
また、「科学が正しいんじゃなくて、現状で一番正しいとされているのが科学」
これが前回のエントリーの結論なんだけど、理解できない人が多かったみたい。
それで、こういう補足記事を書いてるのです。

http://informatics.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/post-f736.html

『科学は現状で一番正しいとされている論理を集めた物』はその通りです。
しかしそれは『人間の観測技術の限界』、あるいは『適切な実験を思いつけない限界』など、人間の能力の限界によるものです。
人間は間違いをする。だから『科学』には間違いが存在する。
例えば過去にはこのようなものがありますね。

光はエーテルを媒介として到達する

当時としては、

  1. (大前提)『力が伝わるためには,媒介を必要とする』と言う『現象』が存在する(水面上の波紋など)
  2. (小前提)『光』と言う力は空間を通して伝わる
  3. (仮説)なれば『光』が伝わる『媒介』が空間に存在するはずだ

という三段論法による論理と考えられます。
しかしこれは後に否定されました。実験や理論で。
 

人間には能力の限界があるが故に、永久に「科学は現状で一番正しいとされている論理体系」なのではありませんか?

 
そして、論理を「人間が定義しただけだから正しいとは言えない」を『一般化』して適用するなら。
それはもう、文字通りの『話になりません』。
「意思疎通」のための「共通認識」も「定義」すら「正しいとは言えない」のだから。
私の目の前で「石が落ちる」と言う現象が『私以外にも認識されている』事を『どのようにしても確認出来ない』のだから。
『私』と『私以外』の哲学すら共有出来ないのが当然ではね。
懐疑主義とか不可知論以前の問題ですね。
まさに我学です。

 

ホメオパシーと言うのは200年前の『科学』なのに、『自然現象の認識』も『論理』も『共通認識として存在しない』ほど隔離したものとは、偽科学の闇はどこまで深いのでしょうか。